<富士山のシルエットと中央線の電車の光跡 多摩川の堰堤から撮影 CANON EOS7+Agfa Precisa100>
八王子支店(国民金融公庫)在任中は、官舎が立川市の錦町に ありました。JR立川駅まではバスで7-8分、徒歩でも12、3分前後です。単身赴任でしたので、土日祭日の都度、カメラをかついで周辺のみならず、富士吉田、忍野、或いは横浜、湘南へも撮りに出かけました。自転車で15分ほどのところには、国営昭和記念公園(旧立川基地)という、広大な(東京ドーム約38個分)公園があります。昭和記念公園については、別途取り上げるとして、今回は、立川市と隣接する国立市を取り上げます。
H12年3月下旬に札幌北支店から転勤時は、折から桜満開の時期でした。左側は多摩川の堰堤で、この疎水の両側の桜が満開でした。
官舎の近くに立川病院があって、そこの広大な駐車場の周辺も、桜が満開でした。
隣の国立市の駅前通り両側歩道の桜並木も、見事な満開ぶり。なお中央奥の白い構造物は、駅舎ではありません。地下水道の工事用の建物で、数年後の工事完了後は撤去されると聞きました。
駅前通の歩道はこのような状況です。それにしても桜並木は見事です。
JR国立の駅舎はこれです。全国的にも有名な駅舎でした。関東駅百選に選ばれ、「赤い三角屋根と桜がマッチした駅」として親しまれましたが、平成18年には普通の高架駅になってしまいました。
さて再び立川に戻って、錦町の官舎から多摩川方面に向かい(河岸段丘となっている)日野橋を渡って日野市側の河原に降りると、早朝このような光景が見られます。画像はポジフィルムですが、TWR(トワイライトレッド)フィルターで幾分赤みを強調しています。現在では、画像処理ソフトPhotoshopで加工できますが、当時は、フィルターで調整するのが普通でした。
一方上流方向を見ると、立日橋を通る車の光跡が川面にも映り込んでいます。なお上の画像とは、撮影日も、撮影時間も異なります。
さらに時間が経過して早朝には、モノレールが走り、そのモノレールと橋の間に朝焼けの富士山が映り込んでいます。この多摩モノレールは、北は東大和市の「上北台」と「立川」「日野」を通って「多摩センター」を結んでいます。
多摩川の堰堤は富士山撮影のスポットです。この画像は標題にあげたものですが、富士山の左手前の光跡は中央線の電車の明りです。
富士山の山頂付近に落ちる太陽を点撮りしてみました。太陽はほぼ45度の角度で落ちていきますので、事前に45度の三角定規があれば、ほぼ山頂に落ちる撮影位置が割り出せます。画像は、5分間隔で6回+1回露光しました。太陽が1個分動くのにほぼ2分間かかることは事前に分っていますので…NDフィルターを使い5分ごとに6回シャッターを切ります。最後にNDフィルターを外し、太陽が富士山の後ろに落ちたときに、1回オート撮影してできあがりです。
8月27-8日に行なわれる諏訪神社の例大祭(諏訪祭)
8月上旬に行なわれる立川よいと祭り。地域振興団体主催の祭りで、神輿だけでなく、YOSAKOI、音楽パレード、光りと音の競演など幅広いイベントです。
え?立川で「ねぷた?」「ねぶた?」と思われるかもしれませんね。実は錦町の隣羽衣町商店街のイベントなんです。商店街の会長が青森県木造町の出身という関係で、弘前ねぷたと青森ねぶたを借用して運行したようです。
この画像はその時に撮影したもので、羽衣町商店街ねぶた祭りフォトコンテスト(H12年8月)で特選(一等賞)「眼光鋭く」となった作品です。
自宅から錦3丁目のバス停に向かう途中、近くの小学校に向かう児童。濡れた歩道とピンク&黄色がよくマッチ。あわててカバンからコンパクトカメラを取り出し、パチリ。
官舎の近くに朝鮮学校があります。よく見ると学校祭のようでちょい覗いてみたくなり、うろうろしていると、中から先生が出てきて、学校祭を見て行けという。写真撮ってもいいか、と聞くと、即報道記者と書かれた腕章を渡され、校内何処を撮影してもかまわない、とのこと。体育館では楽器、舞踊等の発表会が行なわれていて、早速パチリ、パチリ。
民族衣装の高校生(?)達が楽器を演奏。暫し二胡の音に聞き惚れていました。とかく日朝間でぎくしゃくしていた頃、子供達には全く関係の無い話し。同じ立川に住む人間として、この子達がのびのびと臆することなく育って欲しいと思いました。
H13.3.31「桜満開、ところにより雪」とでも題名をつけたいシーン。左端の地域名はあえていれておきました。この日朝から雪模様。あわててカメラを持って自宅近くを走り回りました。朝のTVニュースで桜満開+雪は、とても珍しいとのことだったので…
普通に撮ったのでは、雪が映り込まないので、内蔵フラッシュを盛んに、使いました。道行く人が不思議がって振り返りますが、かまわず、パチパチ撮影。
八王子勤務は、2年4か月という短い期間でしたが、定年を間近に控えとても充実した時期でした。