<ヨイヤサーの掛け声で、行灯は前後上下に激しく揺さぶられ…>
8月28日(金曜)に沼田町で行われる夜高(ようたか)行灯祭りを見てきました。この祭りに合わせて、中学校の同期会が沼田町のホロシン温泉で行われました。昨年滝川市で行われた同期会の折に、急きょ沼田町居住のN君から行灯祭りとセットで行いたいとの提案があり、決まったものです。
沼田町の『夜高行灯祭り』は、『しれとこ斜里ねぷた』と『八雲山車行列』とともに、北海道三大行灯祭りと言われています。沼田町の祭りは、町が1974年(昭和49年)に開基80年を向かえたのを縁として、開拓出身者が多い富山県小矢部市の津沢地地区で行われている『津沢夜高あんどん祭り』が町に伝承され1977年(昭和52年)より開催されています。平成18年に写友と観光ツアーバスで一度見に来たことがありますが、今回は時間を気にせずじっくり撮ってくるつもりです。
事前の天気予報でも快晴マークがついているので、小樽から沼田までの道中でも撮影スポットで停車して…風景をと言う心づもりでした。午前10時に出発すれば、沼田までの約130㎞、午後3時の集合までは余裕十分です。当別を抜けるまでの単調な風景に眠気が差して路側帯で休憩…しまった、1時間も眠りこけてしまった。あれれ、天気が曇り時折小雨に変わっている。275号線沿線に撮るものもなくそのまま北竜まで来てしいました。
![]()
北竜ひまわり祭りは8月23日(日曜)で終わっており、立ち寄る人もポツリ、ポツリ。開花中のひまわりを見つけてほっと一息。手前の区画は9割方散っているが、奥はまだ3-4割咲いている。
![]()
誰が悪戯したのか…
![]()
沼田に入る手前で見かけた光景、稲刈りにはまだ早いようですが…田舎育ちの私には、これが心の風景かも、
沼田の市街手前で左折して同期会会場のホロシン温泉に向かいます。受付で行灯祭りのチラシ・同期名簿等を受け取り確認すると、昭和34年3月第12回卒業生は151名(物故者12名)でした。本日の出席者は恩師1名を含め36名です。
![]()
先ずは宴会で乱れる前に記念写真を…皆いい爺さん、婆さんになっている。
![]()
乾杯の後は感じ、次回開催地代表等の挨拶が続く。
![]()
東京から駆けつけてくれた土師さん、会うのは数年ぶりかな、娘さんがロンドンに住んでいて会いに行ってきた…よかったね、
大熊君、原君、見事な頭になったね、
![]()
卒業以来50数年ぶりに会った上月君、東京で会社役員をしていて未だ現役…、羨ましいね、
![]()
北海道新聞日曜版で、読者の俳句欄の選者「源 鬼彦」君、句会の主宰者でもある。凄いね、俳句の先生とは…
![]()
昭和33年頃の母校雨竜中学校校舎。現在は同じ場所に小中一貫校として鉄筋2Fの校舎となっている。
2時間ほどの懇親会は、あっという間に過ぎて、夜高行灯祭りの会場にバスで移動です。メイン会場はJR沼田駅前との商店街の3カ所に設けられ、それぞれの会場で大型行灯のぶつけ合いが行われます。これが「喧嘩行灯」と言われるもので、道内ではここだけで行われています。幹事の努力でB会場本部席横にスペースを取っていただきました(本通り3丁目)。B会場に着くと既に行灯の引き廻しが行われていました。
![]()
沼田小学校の行灯です。行灯の周りで小学生が夜高節に合わせて踊っています。
![]()
こちらは沼田中学校の行灯
![]()
大型行灯が数基集まってきました。全部で15基あって、町内を練り歩いている。
<夜高行灯のサイズ等>
☆高さ7m、長さ12m、幅3m、重さ5トン。
☆竹細工で龍や御所車を型どり、電球を仕込んで和紙を貼り、ロウ引きをして秘伝の色で彩色した、迫力満点の巨大なあんどん。
☆台車の中央部に行灯本体を設置し、本体下部の前後に釣り物と呼ばれる小型行灯がある。
☆この釣り物の小型行灯をぶつけ合いで潰します。
<夜高(ようたか)の起源・由来>
☆もとは越中砺波の福野町で、伊勢神宮から氏神さまとして分霊を受けたときに町民が提灯行列で出迎えたことが起源と言われてます。その後隣町の津沢町に伝承され、それが沼田町にさらに伝承されたものです。
☆明治の中頃になると、福野町・津沢町で、競い合うように規模が大きくなり、高さが11mにも達し、街並みの屋根越しに行灯が見えるところから「夜高」と言われるようになったとのこと。
![]()
台車の上では若者が、夜高節を歌い気分を盛り上げます。
<夜高節>
☆1 今年や世が良て 穂に穂がさがるよ
枡いらいで ささ箕で量る
サッサドッコイサノサ
サ ヨイヤサ ヨイヤサ(囃子言葉以下略)
☆2 高い山から 谷底見ればよ
瓜やなすびの ささ花盛り
☆3 沼田自慢の 夜高あんどんよ
お月様さえ ささまぶしがる(以下5番まで続く)
![]()
台車を囲んで、高張提灯ならぬ高張行燈を持った女性が行燈を回しながら躍る。
![]()
行灯のぶつけ合いが始まる前に、記念写真を…この後写真屋さんに集合写真を撮っていただきました。
大型行灯のぶつけ合いは各会場で時間が異なりますが、本通り3丁目のB会場では午後9時から始まります。商工会の行灯と役場の行灯が対決するようです。対決前に本部席前で本戦前の示威行為をして観客の大きな拍手を浴びています。
![]()
両者の行灯に取り付けられた龍の飾り物から盛んに蒸気が吐き出され、気炎をあげます。
![]()
さらに行燈が左右上下に揺さぶられ…
![]()
役場の行灯が曳き棒を高く掲げ、前部の釣り物を潰しにかかります。商工会の行灯は曳き棒を奥深く差し入れ、役場の曳き棒の落下を阻止します。
![]()
一度潰しにかかりましたが、再び曳き棒(鎌首)を持ち上げて…
![]()
商工会の前部の釣り物は完全にクラッシュしてしまいました。
![]()
すかさず、潰された釣り物を交換します。釣り物の予備をいくつか備えているようです。
![]()
今度は、商工会の行灯が、役場の行灯の前部の釣り物をクラッシュしました。
1基5トンもある大型行灯同士の潰しあいは、そばで見ていると迫力があります。そのあとも越中おわら踊り等のイベントが続きますが、1回目のぶつけ合いが終わったところでホテルに戻ることになりました。季節は夏とは言え陽が落ちると気温は急速に低くなってきました。既に行灯のぶつけ合いまえに、寒いといってバスに戻った人もいて、9時過ぎには全員がバスに乗り込みました。
と言うことで9時半過ぎに、ホテルでの2次会を欠席して小樽に戻ることにしました。天気が良ければ帰途星空の撮影もしたかったのですが、直行です。
8月28日(金曜)に沼田町で行われる夜高(ようたか)行灯祭りを見てきました。この祭りに合わせて、中学校の同期会が沼田町のホロシン温泉で行われました。昨年滝川市で行われた同期会の折に、急きょ沼田町居住のN君から行灯祭りとセットで行いたいとの提案があり、決まったものです。
沼田町の『夜高行灯祭り』は、『しれとこ斜里ねぷた』と『八雲山車行列』とともに、北海道三大行灯祭りと言われています。沼田町の祭りは、町が1974年(昭和49年)に開基80年を向かえたのを縁として、開拓出身者が多い富山県小矢部市の津沢地地区で行われている『津沢夜高あんどん祭り』が町に伝承され1977年(昭和52年)より開催されています。平成18年に写友と観光ツアーバスで一度見に来たことがありますが、今回は時間を気にせずじっくり撮ってくるつもりです。
事前の天気予報でも快晴マークがついているので、小樽から沼田までの道中でも撮影スポットで停車して…風景をと言う心づもりでした。午前10時に出発すれば、沼田までの約130㎞、午後3時の集合までは余裕十分です。当別を抜けるまでの単調な風景に眠気が差して路側帯で休憩…しまった、1時間も眠りこけてしまった。あれれ、天気が曇り時折小雨に変わっている。275号線沿線に撮るものもなくそのまま北竜まで来てしいました。

北竜ひまわり祭りは8月23日(日曜)で終わっており、立ち寄る人もポツリ、ポツリ。開花中のひまわりを見つけてほっと一息。手前の区画は9割方散っているが、奥はまだ3-4割咲いている。

誰が悪戯したのか…

沼田に入る手前で見かけた光景、稲刈りにはまだ早いようですが…田舎育ちの私には、これが心の風景かも、
沼田の市街手前で左折して同期会会場のホロシン温泉に向かいます。受付で行灯祭りのチラシ・同期名簿等を受け取り確認すると、昭和34年3月第12回卒業生は151名(物故者12名)でした。本日の出席者は恩師1名を含め36名です。

先ずは宴会で乱れる前に記念写真を…皆いい爺さん、婆さんになっている。

乾杯の後は感じ、次回開催地代表等の挨拶が続く。

東京から駆けつけてくれた土師さん、会うのは数年ぶりかな、娘さんがロンドンに住んでいて会いに行ってきた…よかったね、
大熊君、原君、見事な頭になったね、

卒業以来50数年ぶりに会った上月君、東京で会社役員をしていて未だ現役…、羨ましいね、

北海道新聞日曜版で、読者の俳句欄の選者「源 鬼彦」君、句会の主宰者でもある。凄いね、俳句の先生とは…

昭和33年頃の母校雨竜中学校校舎。現在は同じ場所に小中一貫校として鉄筋2Fの校舎となっている。
2時間ほどの懇親会は、あっという間に過ぎて、夜高行灯祭りの会場にバスで移動です。メイン会場はJR沼田駅前との商店街の3カ所に設けられ、それぞれの会場で大型行灯のぶつけ合いが行われます。これが「喧嘩行灯」と言われるもので、道内ではここだけで行われています。幹事の努力でB会場本部席横にスペースを取っていただきました(本通り3丁目)。B会場に着くと既に行灯の引き廻しが行われていました。

沼田小学校の行灯です。行灯の周りで小学生が夜高節に合わせて踊っています。

こちらは沼田中学校の行灯

大型行灯が数基集まってきました。全部で15基あって、町内を練り歩いている。
<夜高行灯のサイズ等>
☆高さ7m、長さ12m、幅3m、重さ5トン。
☆竹細工で龍や御所車を型どり、電球を仕込んで和紙を貼り、ロウ引きをして秘伝の色で彩色した、迫力満点の巨大なあんどん。
☆台車の中央部に行灯本体を設置し、本体下部の前後に釣り物と呼ばれる小型行灯がある。
☆この釣り物の小型行灯をぶつけ合いで潰します。
<夜高(ようたか)の起源・由来>
☆もとは越中砺波の福野町で、伊勢神宮から氏神さまとして分霊を受けたときに町民が提灯行列で出迎えたことが起源と言われてます。その後隣町の津沢町に伝承され、それが沼田町にさらに伝承されたものです。
☆明治の中頃になると、福野町・津沢町で、競い合うように規模が大きくなり、高さが11mにも達し、街並みの屋根越しに行灯が見えるところから「夜高」と言われるようになったとのこと。

台車の上では若者が、夜高節を歌い気分を盛り上げます。
<夜高節>
☆1 今年や世が良て 穂に穂がさがるよ
枡いらいで ささ箕で量る
サッサドッコイサノサ
サ ヨイヤサ ヨイヤサ(囃子言葉以下略)
☆2 高い山から 谷底見ればよ
瓜やなすびの ささ花盛り
☆3 沼田自慢の 夜高あんどんよ
お月様さえ ささまぶしがる(以下5番まで続く)

台車を囲んで、高張提灯ならぬ高張行燈を持った女性が行燈を回しながら躍る。

行灯のぶつけ合いが始まる前に、記念写真を…この後写真屋さんに集合写真を撮っていただきました。
大型行灯のぶつけ合いは各会場で時間が異なりますが、本通り3丁目のB会場では午後9時から始まります。商工会の行灯と役場の行灯が対決するようです。対決前に本部席前で本戦前の示威行為をして観客の大きな拍手を浴びています。

両者の行灯に取り付けられた龍の飾り物から盛んに蒸気が吐き出され、気炎をあげます。

さらに行燈が左右上下に揺さぶられ…

役場の行灯が曳き棒を高く掲げ、前部の釣り物を潰しにかかります。商工会の行灯は曳き棒を奥深く差し入れ、役場の曳き棒の落下を阻止します。

一度潰しにかかりましたが、再び曳き棒(鎌首)を持ち上げて…

商工会の前部の釣り物は完全にクラッシュしてしまいました。

すかさず、潰された釣り物を交換します。釣り物の予備をいくつか備えているようです。

今度は、商工会の行灯が、役場の行灯の前部の釣り物をクラッシュしました。
1基5トンもある大型行灯同士の潰しあいは、そばで見ていると迫力があります。そのあとも越中おわら踊り等のイベントが続きますが、1回目のぶつけ合いが終わったところでホテルに戻ることになりました。季節は夏とは言え陽が落ちると気温は急速に低くなってきました。既に行灯のぶつけ合いまえに、寒いといってバスに戻った人もいて、9時過ぎには全員がバスに乗り込みました。
と言うことで9時半過ぎに、ホテルでの2次会を欠席して小樽に戻ることにしました。天気が良ければ帰途星空の撮影もしたかったのですが、直行です。