<ん、これは何だ?最果ての地で出会った珍しいモノに…新型の風力発電らしい>
7月7日から9日まで道東ツアーに行きましたが、今回二日目は、屈斜路湖から根室の先、日本最東端の地納沙布岬へ、そして釧路経由で帯広(泊)までの行程です。当初のスケジュールでは、津別峠の雲海、根室の手前の春国岱、そして納沙布岬を撮影し、浜中町の霧多布湿原、厚岸町の道の駅「コンキリエ」でのあぶり焼きの昼食、釧路市内での撮影(釧路コールマイン・石炭関連の撮影、米町公園、幣前橋夕景等)、そして帯広のホテルまで直行と言う予定でした。
結論から言うと、その予定の半分も消化できませんでした。途中でとんでもないハプニングのために…詳しくは後程述べるとして、朝一番で、津別峠の雲海撮影を予定しています。前日ホテルに確認すると、このところ毎日雲海が出ているとのことです。期待が膨らみます。日によっては10時頃まで雲海が出ているとのこと。と言うことで午前7時からの朝食を取ってからでも十分間に合うはず…
朝3時過ぎに目を覚ましトイレに向かうと、ザックとカメラを背負った数人が出かけるようです。聞くと雲海と朝日を撮りに行くといいます。う~ん、ここは日の出の5時前に現地に行くべきか…しかし同行の写友とは朝食後出発と言う約束。ともかく7時からの朝食を手早く済ませ、津別峠に向かいます。
津別峠の展望台からは、一面霧がかかって雲海どころではありません。やはり日の出前に来るべきだったかと反省しきり。止む得ません、3日目の朝のトマムの雲海テラスに期待です。
スタートからつまずきですが、気を取り直して、弟子屈町から別海町経由で根室市に向かいます。別海町は酪農業が盛んですが、人口の約10倍の10万頭の牛が飼育されています。
途中で見かけたドライブイン、私が釧路に勤務していた折に数回立ち寄ったことがありますが…広い駐車場はいつもガラガラでした。駐車場に大型トラックが何台も止まっているドライブイン程、安くて美味しいという口コミがありますが…
根釧原野らしいどこまでもまっすぐな道と広い大地。
平原にぽつんと木が一本
やっと牛の放牧に出会えた。カメラを構えると何やってるの、とばかりに牛が集まってくる。牛は何にでも興味を示します。
このまま国道243号線を南下すると、霧多布湿原で有名な浜中町と、根室の中間の国道44号線の厚床に出ます。この経路は釧路勤務時代に何度も通っています。途中横槍から左折して近道を通ります。ジェットコースターのような下りを進みますが、両側に牧草ロールがたくさん見えます。
電線もいいアクセントになったかな?
途中の牧場入口で見かけた花、根釧原野で目にするものは牧草や木々であって、花を目にするのは珍しいことです。なんの花だろう、葉はエゾ山桜に似ていますが、花はハナミズキにも似ているし…
国道44号線を根室方向に進むと、やがて風連湖を囲む砂嘴、春国岱に出ます。ここは別名原生野鳥公園とも言われています。国道から100mほど離れたところに鶴の親子が見えました。
最初親子3羽固まってましたが、1羽が右のほうに歩いてゆくと、子がじっと見ておりました。
春国岱は砂嘴との間に橋がかけられ車で渡れますが、そこから先は進めません。この風連湖には子育て中の鶴が何組も見られます。
浜茄子とシシウド(正しくはシシウドの変種エゾノヨロイグサ)が満開です。
看板が朽ち落ちてしまったようです。左側に木造の通路がありますが、通行止めになっています。
さて春国岱で十分撮影し、根室市に向かいます。街中には立ち寄らず、根室半島の最東端納沙布岬に向かいます。岬の数km手前で妙な風車を見つけました(標題の画像)。道の先には見慣れた大型の風車も一基あります。
最初見かけたときは???と思いましたが…
道路側にある小屋(施設)の壁には「風力発電云々」と表示されていました。なるほど、これだと小型で、従来の風車に比べて羽の落下などという事故も少ないし、コストも格段に安くなりそうですが…
道端の湿原にはエゾカンゾウが満開。カメラのフィルターでミニチュア風に加工。
周辺の景色に見とれ、あれこれと話し合っていると、突然がたがたとそろばん道路を走っているような音が…たぶん自衛隊の戦車か農業用トラクターが通ってキャタピラの跡が路面についてなんて、気楽に考え、先に進みました。最東端納沙布岬の灯台です。
日本最東端の灯台。
納沙布岬から約3.7㎞先に、旧日本陸軍が設置した灯台があります。潮が引くと砂地が見えます。これを貝殻島と呼んでいます。
<貝殻島について>
正しくは島ではありません(国際海洋法上)。そのため戦後直後には奥に見える水晶島(平らな島)と納沙布岬の中間に、日ソの境界線が引かれ(いわゆるマッカーサーライン)、貝殻島は日本の領海に入っていました。しかし3年後にGHQが再調査し、貝殻島と納沙布岬の中間(納沙布岬から1.8㎞)にマッカーサーラインが設置し直されてしまいました。当時アメリカ軍は日本の防衛義務を負っていなかったためとも言われていますが、詳細不明。
貝殻島周辺は昔から良質な昆布が採れることで有名です。なんせ目の前に漁場が広がっている訳ですし、一時日本の領海内でしたから、地元漁民は納得できず、1.8㎞先の中間ラインを超えてまででも出漁するケースが多発しました。拿捕、銃撃事件が多発したのも、背景にはかような事情があったわけです。早く北方4島が日本に戻ってきてほしいものです。
はるか彼方には水晶島が見えます。不思議なことにこの周辺の島々は、剃刀で削ぎ取られたように、凹凸がありません。中央付近に監視塔と監視小屋が二棟見えます。
実は、この周辺には撮影ポイントがまだまだたくさんあります。できれば北方資料館にも立ち寄りたいし…それが撮影不可能になってしまうなんて、予想もつきませんでした。いざ車を動かそうとすると、左後輪がパンクのようです。よく見ると、タイヤがバーストしているではありませんか。キャタピラーの跡を、がたがた走っていたと思ったのは、実はパンクだったのです。しかも無理して数㎞走ったために、タイヤが裂けてしまったとわかって愕然です。
とりあえず、スペアタイヤに履き替えますが、バーストしてしまっては修理が不能、早く残り3本と同系のタイヤに取り換える必要があります。早速根室のオートバックスに出向くも、在庫なしとのこと。周辺のタイヤ専門店に架電してもらうも、見つからず、やっと目処がついたのが釧路星が浦のオートバックス。結局タイヤ交換できたのが午後6時過ぎ。厚岸での撮影も、コンキリエでのあぶり焼きも、釧路市内での撮影も中止です。
と言うことで、平成15年7月に訪れた納沙布岬での画像を2枚あげて終わりとします。
今は見られなくなった看板。以前はもっと過激な看板もありました「武力で取り返せ、北方四島!」と言うのも…
かすかに貝殻島の灯台が見えます。
『望郷の地、北方四島、早く戻れ日本に!』祈らずにはいられません。
7月7日から9日まで道東ツアーに行きましたが、今回二日目は、屈斜路湖から根室の先、日本最東端の地納沙布岬へ、そして釧路経由で帯広(泊)までの行程です。当初のスケジュールでは、津別峠の雲海、根室の手前の春国岱、そして納沙布岬を撮影し、浜中町の霧多布湿原、厚岸町の道の駅「コンキリエ」でのあぶり焼きの昼食、釧路市内での撮影(釧路コールマイン・石炭関連の撮影、米町公園、幣前橋夕景等)、そして帯広のホテルまで直行と言う予定でした。
結論から言うと、その予定の半分も消化できませんでした。途中でとんでもないハプニングのために…詳しくは後程述べるとして、朝一番で、津別峠の雲海撮影を予定しています。前日ホテルに確認すると、このところ毎日雲海が出ているとのことです。期待が膨らみます。日によっては10時頃まで雲海が出ているとのこと。と言うことで午前7時からの朝食を取ってからでも十分間に合うはず…
朝3時過ぎに目を覚ましトイレに向かうと、ザックとカメラを背負った数人が出かけるようです。聞くと雲海と朝日を撮りに行くといいます。う~ん、ここは日の出の5時前に現地に行くべきか…しかし同行の写友とは朝食後出発と言う約束。ともかく7時からの朝食を手早く済ませ、津別峠に向かいます。
津別峠の展望台からは、一面霧がかかって雲海どころではありません。やはり日の出前に来るべきだったかと反省しきり。止む得ません、3日目の朝のトマムの雲海テラスに期待です。
スタートからつまずきですが、気を取り直して、弟子屈町から別海町経由で根室市に向かいます。別海町は酪農業が盛んですが、人口の約10倍の10万頭の牛が飼育されています。
途中で見かけたドライブイン、私が釧路に勤務していた折に数回立ち寄ったことがありますが…広い駐車場はいつもガラガラでした。駐車場に大型トラックが何台も止まっているドライブイン程、安くて美味しいという口コミがありますが…
根釧原野らしいどこまでもまっすぐな道と広い大地。
平原にぽつんと木が一本
やっと牛の放牧に出会えた。カメラを構えると何やってるの、とばかりに牛が集まってくる。牛は何にでも興味を示します。
このまま国道243号線を南下すると、霧多布湿原で有名な浜中町と、根室の中間の国道44号線の厚床に出ます。この経路は釧路勤務時代に何度も通っています。途中横槍から左折して近道を通ります。ジェットコースターのような下りを進みますが、両側に牧草ロールがたくさん見えます。
電線もいいアクセントになったかな?
途中の牧場入口で見かけた花、根釧原野で目にするものは牧草や木々であって、花を目にするのは珍しいことです。なんの花だろう、葉はエゾ山桜に似ていますが、花はハナミズキにも似ているし…
国道44号線を根室方向に進むと、やがて風連湖を囲む砂嘴、春国岱に出ます。ここは別名原生野鳥公園とも言われています。国道から100mほど離れたところに鶴の親子が見えました。
最初親子3羽固まってましたが、1羽が右のほうに歩いてゆくと、子がじっと見ておりました。
春国岱は砂嘴との間に橋がかけられ車で渡れますが、そこから先は進めません。この風連湖には子育て中の鶴が何組も見られます。
浜茄子とシシウド(正しくはシシウドの変種エゾノヨロイグサ)が満開です。
看板が朽ち落ちてしまったようです。左側に木造の通路がありますが、通行止めになっています。
さて春国岱で十分撮影し、根室市に向かいます。街中には立ち寄らず、根室半島の最東端納沙布岬に向かいます。岬の数km手前で妙な風車を見つけました(標題の画像)。道の先には見慣れた大型の風車も一基あります。
最初見かけたときは???と思いましたが…
道路側にある小屋(施設)の壁には「風力発電云々」と表示されていました。なるほど、これだと小型で、従来の風車に比べて羽の落下などという事故も少ないし、コストも格段に安くなりそうですが…
道端の湿原にはエゾカンゾウが満開。カメラのフィルターでミニチュア風に加工。
周辺の景色に見とれ、あれこれと話し合っていると、突然がたがたとそろばん道路を走っているような音が…たぶん自衛隊の戦車か農業用トラクターが通ってキャタピラの跡が路面についてなんて、気楽に考え、先に進みました。最東端納沙布岬の灯台です。
日本最東端の灯台。
納沙布岬から約3.7㎞先に、旧日本陸軍が設置した灯台があります。潮が引くと砂地が見えます。これを貝殻島と呼んでいます。
<貝殻島について>
正しくは島ではありません(国際海洋法上)。そのため戦後直後には奥に見える水晶島(平らな島)と納沙布岬の中間に、日ソの境界線が引かれ(いわゆるマッカーサーライン)、貝殻島は日本の領海に入っていました。しかし3年後にGHQが再調査し、貝殻島と納沙布岬の中間(納沙布岬から1.8㎞)にマッカーサーラインが設置し直されてしまいました。当時アメリカ軍は日本の防衛義務を負っていなかったためとも言われていますが、詳細不明。
貝殻島周辺は昔から良質な昆布が採れることで有名です。なんせ目の前に漁場が広がっている訳ですし、一時日本の領海内でしたから、地元漁民は納得できず、1.8㎞先の中間ラインを超えてまででも出漁するケースが多発しました。拿捕、銃撃事件が多発したのも、背景にはかような事情があったわけです。早く北方4島が日本に戻ってきてほしいものです。
はるか彼方には水晶島が見えます。不思議なことにこの周辺の島々は、剃刀で削ぎ取られたように、凹凸がありません。中央付近に監視塔と監視小屋が二棟見えます。
実は、この周辺には撮影ポイントがまだまだたくさんあります。できれば北方資料館にも立ち寄りたいし…それが撮影不可能になってしまうなんて、予想もつきませんでした。いざ車を動かそうとすると、左後輪がパンクのようです。よく見ると、タイヤがバーストしているではありませんか。キャタピラーの跡を、がたがた走っていたと思ったのは、実はパンクだったのです。しかも無理して数㎞走ったために、タイヤが裂けてしまったとわかって愕然です。
とりあえず、スペアタイヤに履き替えますが、バーストしてしまっては修理が不能、早く残り3本と同系のタイヤに取り換える必要があります。早速根室のオートバックスに出向くも、在庫なしとのこと。周辺のタイヤ専門店に架電してもらうも、見つからず、やっと目処がついたのが釧路星が浦のオートバックス。結局タイヤ交換できたのが午後6時過ぎ。厚岸での撮影も、コンキリエでのあぶり焼きも、釧路市内での撮影も中止です。
と言うことで、平成15年7月に訪れた納沙布岬での画像を2枚あげて終わりとします。
今は見られなくなった看板。以前はもっと過激な看板もありました「武力で取り返せ、北方四島!」と言うのも…
かすかに貝殻島の灯台が見えます。
『望郷の地、北方四島、早く戻れ日本に!』祈らずにはいられません。