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Channel: 紅露の写真日誌…北の大地・夢空間
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道南桜撮影ツアー(その2)

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函館駅近くの国際ホテルを朝5時に出たときにに小雨がぱらついていました。雨が降ってはせっかくの松前桜が…と心配しましたが、やがて降ったり止んだり、一時日も差す状況に変わってきました。今日のスケジュールは、渡島当別のトラピスト、松前公園の桜、江差港の開陽丸、夕陽が出れば岩内港で夕陽の撮影と考えておりました。午前6時過ぎにトラピストに到着してみると、桜は全く咲いておりません。固いつぼみのままです。緯度的には函館とほぼ同じでありながら、一方は満開、他方は固いつぼみのままという、ちぐはぐに驚きです。


(1) 渡島当別のトラピスト

ご存じのように、湯の川にあるのが女子修道院のトラピスチヌで、こちらは男子修道院のトラピストです。湯の川の方は敷地の一部が観光用に開放されて、売店などもありますが、トラピストの方は観光客は一切立ち入り禁止です。


(トラピストに続く道は杉木立があってとても綺麗)


(高い塀に沿って裏側に出ると、山にもやがかかって幻想的)


(2) 福島町の水産加工場

福島町は横綱の里として有名です。昭和20年代には「突っ張り」の名横綱千代の山が、また50年代には横綱千代の富士が誕生している。両横綱を記念した横綱記念館もありますが、時間が早く開館しておりませんでした。ふと道路一本向うの水産加工場を見ると、女工さんたちが何やら話し声が聞こえます。すかさず、写真撮影です。ずうずうしく工場内に入り込み撮らせていただきました。


(冷凍でガチンガチンのイカを真水でほごしているようです)


(だいぶほごれてきました スルメに加工する一工程だとか…)


(ほごしが終わって次の工程に… シャッターを閉めるということで我々は外に出ました)


(3) 松前公園の桜

日本最北の白、松前城を中心にこの公園には光善寺などのお寺や松前神社が付随してあり、さらに観光施設として「松前藩屋敷」(案内板左上)が再現されています。観光案内によれば、250種1万本の桜があるそうです。5月7日に訪れた際には、染井吉野はややピークを過ぎておりましたが、濃いピンク色で八重の「南殿(ナデン)」は満開でした。


(公園入り口の案内板)


(お城と桜の定番写真ですが…)


(堀に映る白と桜をPEN E-P1で幻想的に撮ってみました)


(松前桜三大銘木の一つ「夫婦桜」 染井吉野と南殿が寄り添うように生えていることから「夫婦」の名前が付けられた)


(椿の落花と桜の花が同時に落ちているのも北海道ならではのこと)


(光善寺の「血脈桜」 松前桜三大銘木の一つ)

なお、血脈桜という聞きなれない言葉に戸惑う方が多い事でしょう。血脈とはお坊さんが浄土に旅立つ人に仏になるために与える証のことを言います。光善寺のの桜は、あるとき本堂改修のために伐採されることになりました。ところが伐採前日に、住職の枕元に、桜の精が現れ、血脈を欲しがったそうです。やむなく血脈を与えると、伐採当日その血脈が桜の木から落ちてきました。これに驚いた住職が、桜の精を憐れんで供養するとともに、伐採を取りやめました。という言い伝えから「血脈桜」と呼んでいます。

さてせっかくですから「松前藩屋敷」を訪ねてみましょう。350円の通行手形を買って中に入ると、関所があって、呼び止められました。


(はは〜、お代官様、あっしはなにも悪いことは…身に覚えがありません 平謝りの図)


(商家を覗いてみると…)


(時代衣装を身に着けた飴売りの娘さん モデルになっていただきました、50円の水あめを買って…)

松前での桜撮影を終わって、江差に向かいます。江差で昼食後、海岸に係留されている幕末時代に活躍した「開陽丸」を撮影しました。取り上げる程の画像でもありません。そのまま海岸線を北上します。


(4) 弁慶岬

北海道内には、結構源義経主従に関する伝説があちこちにあります。平泉で頼朝の軍に敗れた義経主従は敗走し、津軽海峡を渡り、北上して蝦夷地から日本海を渡ってモンゴルに逃れた。そしてチンギスハーンになった、という突飛な伝説があるんです。この弁慶岬もその伝説の一つで、ここに逗留した弁慶が、舎弟の常陸坊海尊が義経再挙の兵を募り蝦夷地に向かったという話を聞き、毎日この岬で待っていたという言い伝えです。


(公園の東屋から弁慶の像を見る)

なお、ここ寿都町の弁慶岬を国道229号線に沿って40?ほど岩内町方面に進むと、雷電岬があ理ます。その突端に切り立つ崖を「弁慶の刀掛け」の岩と呼んでいます。ここを通った弁慶一行が一休みしたときに、岩を一ひねりして腰の刀をかける岩を作ったという伝説です。現在は付近を通る国道がトンネル化されたために、見にくくなってしまいました。


(5) 岩内漁港の落日

どうやら落日寸前に岩内漁港に到着しました。漁船かカモメをバックに消波堤ブロックの向うに沈む夕日を撮ろうというつもりです。あと数分で太陽が落ちてしまいます。漁港を駆け回り撮影スポットを探します。運よく漁船と水たまり、カモメが見えました。


(よく見るとカモメが二羽います。逃げない程度に近づきます)


(タイミングよく羽を広げました)

撮影を終わった時はすでに日は落ちて、暗闇が迫ってきました。あとは小樽に戻るだけです。

新緑の季節到来

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5月中旬以降は割と暖かい日が続き、セピア色一色だった近隣の山々も、緑色が一段と濃くなってきました。そんなある日、新聞に小樽市民公園のつつじが、満開を迎えている旨の記事が紹介されました。かつては小樽市においても、5月の末に市民公園でつつじ祭りがおこなわれていました。写真クラブのモデル撮影会にも参加した記憶があります。こうしたつつじ祭りも、市の財政難から平成16年5月の第40回を最後に中止されてしまいました。当時の新報道によれば、つつじは市のシンボルマークであることから惜しむ声がたくさん上がっておりました。

ともあれ過去を嘆いても始まりません。満開と言う情報に、5月下旬にカメラを担いで早速撮影に行ってきました。満開のつつじに交じって、なんと八重桜が咲き誇り、風が吹くたびに花びらを散らしています。公園の展望台では、近くの幼稚園児たちが保母さんや付添いのお母さん方とビニールシートを敷いています。色とりどりの帽子をかぶり、よちよち歩きの児から年長さんまで40-50人ほどの子供たちが新緑を楽しんでいます。


(幼稚園児たちが春の日差しを受けて…)


(展望台付近から海を望むと)


(つつじのオレンジ色と新緑の緑がまぶしい)


(公園内のあちこちに八重桜が咲き誇っている)


(桜の花びらが散ると、今は少し茶色の葉が緑色に変わっていきます)

さて肝心のつつじですが、ざっと見渡しただけで何種類もあるようです。残念ながら花に詳しくないので種類や品種はわかりませんが、一番目立つのが赤と言うか、オレンジっぽい花のつつじです。次いで紫色がかかったつつじで、最後は白っぽいつつじです。


(公園内では数が多いせいか、一番目立ちます)


(多少紫っぽいつつじ)


(つつじ咲く小道)

さてつつじの花はこのくらいにして、目を樹木に移してみると、新緑の葉が日の光を浴びて、葉が透き通って葉脈が見えます。また、葉が重なって出来た影も美しい形を作っています。いつまで見ていても飽きません。


(なら系の樹木でしょうか?)


(ナナカマドに白い花が咲きました)


(透き通った葉と影がとても美しい)


(まるで天狗の団扇のような…)


(公園唯一の藤棚のフジも少し色づいてきました)


(青々とした草原の雑草に日が当たって、そこだけ浮かび上がったように…)


(この日は結構風が強く白樺の木が大きく揺れていました)

2時間ほど公園内を散策しましたが、八重桜につつじ、白樺の新緑など一斉に咲く、北海道独特の季節感を十分に満喫した1日でした。

上海ツアー〜無錫・蘇州を巡る

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5月15日がツアーの最終回となってしまいます。翌16日はホテルを午前5時30分に出発し空港に向かうからです。午前8時にホテルを出て、ツアーバスはラッシュアワーで混む市内の高架道を走り、高速道を通って、無錫に向かいます。無錫までは約200?ほどあります。2時間ほど走って高速道路を出たところで休憩です。途中にパーキングエリアがありませんのでトイレタイムに困ります。高速道路の管理事務所にお願いしてトイレを借りることになりました。


(左奥が高速道路のゲート 管理事務所は道路の向う側 この時間帯は車が少ない)

再び車は無錫に向かいます。かつては錫の産地であったと言われています。しかし前漢時代にはその錫を取り尽くしてしまい無錫になったとも言われています。現在でも工業都市で人口300万人を数え、中国の代表的な工業都市です。また琵琶湖の3.5倍もある太湖を抱えていることでも有名で、尾形大作のヒット曲「無錫旅情」にも歌われています。またかつては、三国志で有名な呉の国の発祥の地とも言われています。ともあれ、太湖に近づくと周辺に大きなマンションやクレーンがひっきりなしに動いていて、経済活動に活発な町であることがわかります。


(1) 太湖の遊覧

太湖は周囲約400?、大きい割には水深が2-3mと浅い。各所で長江(日本では、下流を揚子江と呼ぶ事が多い)とつながっていて、「南船北馬」の語源ともなっています。日本でも有名な三国志の、呉の国の発祥の地で、のちに都は50?ほど離れた蘇州に移されました。また隣国の越の国との争いが多く、「呉越同舟」の語源もここから出ています。ともかく歴史的に故事、遺跡の多いところです。


(遊覧船乗り場)


(屋形船風の遊覧船が行く 竜は王様のシンボルで、かつては王の乗る船であった)


(湖の周辺では工業建設が進んでいるようだ)



(無錫旅情にも歌われたジャンク船、今は観光船化している)


(3人のガイドさんの一人王・ワンさん)


(昔ながらの漁をしている)

小1時間ほど太湖を遊覧した後は、真珠の工場を見学しました。太湖ではカラス貝に肉を挟み込んで真珠を作るのだそうです。日本では、アコヤ貝に真珠の核となる物質を入れ数年間養殖してから取り出すと、直径1?前後の真珠が出来上がります。ここ太湖では、1個のカラス貝から30-40個の小さな、2-3?の真珠が取れます。それを宝飾に加工したり、あるいはすりつぶして化粧品に加工したりするそうです。まったく興味がないので工場も売店も見ませんでした。

無錫の真珠工場の向かいのレストランで昼食を済ませた後は、蘇州に向かいます。上海方向に50?ほど戻ります。蘇州は「上に天堂(極楽)、下に蘇杭」と謳われるほど、杭州とともに地上の楽園とたたえられています。2500年前には、呉の国の都として栄え、また絹織物の産地としても有名です。街中を運河が縦横に走り、明清時代に作られ、世界遺産に登録された名園が九つもあります。蘇州では「寒山寺」と「拙政園」、「絹織物工場」を見学しました。


(3) 寒山寺

ここのお寺は孫悟空の「西遊記」で、三蔵法師のモデルと言われている玄奘三蔵がここで修行して、天竺への旅が始まった地と言われています。西暦629年のことです。また寒山寺には、唐の時代の詩人「張継」が詠んだ漢詩「楓橋夜泊」の石碑とその拓本があります。高校時代に漢文の時間に習ったような記憶もあります。楓橋夜泊の詳細については、上のカラー文字をクリックしてください。


(寒山寺の入り口はこの長い回廊の奥にあります)


(寒山寺入口の前にある橋 この橋が「楓橋」?いえ違うようです)


(中国人は赤と黄色が好きだと言いますが… ここまでやるかと言う感じ…)


(線香に火をつけて…)


(四方にお参りして…)


(ここで燃やす)


(ありました、屋根瓦に、西遊記の一行が… 孫悟空はお笑い芸人のオカ○○に似ているような…)


(少数民族の方々でしょうか…)


(境内にはたくさんの仏閣がありますが… スペースの都合もありこれ一つとしておきます)


(4) 拙政園(世界文化遺産)

寒山寺を出て名園の一つ、拙政園に向かいます。蘇州には、宋代以降中央官庁を退任した役人たちによって贅沢な庭園が築かれ、その数は60を超えるといわれています。そのうちの9か所が蘇州古典園林として世界文化遺産に登録されました。長江の下流域、いわゆる江南と呼ばれる地域を代表する庭園が拙政園なのです。この庭園は、明代の1509年に中央官庁を失脚した王献臣が造営したといわれています。


(拙政園の入り口で記念写真を撮る観光客)


(大きな池がある 周囲は新緑が目にも鮮やか 中央奥に北寺塔が見える)


(大きな堂があちこちにあって…)


(池の中では、カメが平泳ぎをしている…)


(5) 蘇州街なか・運河付近


(お寺の近くでは線香を売る露店が目立つ)


(観光客の集まる名所にはチクロが客待ち顔で… 小樽ではチャリタク=チャリンコタクシの略、と呼んでいます)


(奥のリンゴと手前のランブータンはわかりますが…)


(運河の橋の上から見ると… こんな光景が至る所で見られます)


(欧米人の観光客 カメラを向けると手を振ってくれました)


(狭い運河を船が行きかう)

蘇州最後に絹織物の工場を見学しましたが、スペースの関係もあり、次回6月7日に「上海余話」として、取り上げきれなかった画像と一緒にアップしたいと思います。

モノクロ写真の数々

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モノクロ写真の数々

モノクロフィルムで撮影した画像とデジタル画をモノクロ変換した画像を合わせて89枚を特集してみました。
カーソルを下段の黒枠部分に置きますと、標題が現れます。

上海余話

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5月14-15日の上海ツアーについては、二回に分けて取り上げましたが、そのほかの掲載できなかった画像や、その他の上海事情等について、余話として取り上げてみたいと思います。かつては中国では主たる交通機関が、ベトナムや台湾と同様に自転車やバイクでありました。しかしここ十数年の間の経済発展はすざましいものがあります。一部資本主義の導入とともに裕福層が大幅に増えました。その結果、街中には外車が満ち溢れ、交通渋滞を引き起こしています。朝夕の交通ラッシュは目覚ましく、スモッグで視界が遮られるような状態です。


(1) 交通事情

裕福層が増えると同時に増えたのが車です。市内の一般道、高架道ともに渋滞に次ぐ渋滞。ただ市内を走る高速道である「高架道」の場合、渋滞状況が表示されているのが日本と違います。ガイド氏の話によれば、数百万円で車を購入しても、ナンバープレートの取得が容易ではないとのこと。当局が車両抑制のためになかなか発行しないことから、20万円から60万円ほどかかるとのこと。では地方都市ナンバーを取ればいいではないかと言うことになりますが、高架道の乗り入れには日本でいう他県ナンバーは、乗り入れ制約があるらしいのです。乗り入れ制約は乗用車以外の、トラックは許可車以外乗り入れ不可、また日本でいう軽四輪も乗り入れ不可だそうです。日本のような配送専門のトラックは、当局への入札で大手数社に限定されているとのことです。またナンバーの偽造、盗難も多いとか。(なお、伝聞に基づく情報なので信頼性の程は…割り引いてください)


(高架道は片側4車線、中央寄りの2車線が小型車用(普通の乗用車)、外側2車線が小型車・大型車用となっている 分岐点近くでは混用)


(ナンバープレートのサンズイ+戸は、上海の別称 蘇州の場合は蘇の略字「芬」に似た文字、蘇の簡体字は日本語にない)

なおサラリーマンなどの朝夕の通勤は路線バスや、地下鉄を利用しています。地下鉄(1号線〜11号線の11本)は市内を網の目のように張り巡らされていて、料金も3〜5元(40〜60円)と安い。またタクシーもその数が多く、料金も日本比べかなり安いです。基本料金14元(約180円)+距離制ですから300-400円あれば市内観光地は何処へでも行けます。ただ、英語は全く通じません。また漢字を書いても、簡体字が主流ですから、日本の漢字が通じないことも多いのです。


(2) グルメ

朝食は最終帰国日以外すべてヒルトンホテルで取りました。いろんな国の方々が宿泊するせいか、朝食のバイキング料理も実に多種多様で、和洋中華、毎日飽きることもありませんでした。レストランも実に豪華で、大きな椅子が重たくてずらしにくいという難点はありましたが…


(手前のフロアーにも食卓が並んでいて、数百人が一度に食事できるようです)


(孫娘はお粥とパンとジュースだけ、意外と小食 私はパン、ベーコン、ソーセージ、サラダ、チョイ食いすぎでした)


(市内観光時豫園での昼食 小龍包に餃子二種類、みなさん美味しい美味しいと言っていましたが…味付けがどうも合わない、漬物が一番でした 写真には二種類の漬物が載っていません、ほとんど私が食べて尽くしてしまいましたので)


(黄浦江ナイトクルーズ乗船前の夕食 やはり味付けが合わない、ここでも漬物と小エビのから揚げが一番でした 白いご飯が無くチャーハンでしたがやけにぱさぱさしている 娘や孫たちは美味しい美味しいと…)

さすが、翌日の無錫杭州ツアー時の昼食の中華料理にはうんざりしました。写真に撮る気力もありません、ああ、おかかの握り飯に、漬物+おつゆが飲みた〜い、と叫びたくなりました。ちなみにこの時の昼食には、スペシャルメニューと言うことで、スペアリブが出てきました。ガイドさんが言います、一人一個分しかありませんので…、見るからにこげ茶色のタレに浸かり美味そう。誰かが言います。うん?味が違う!と。確かにたれの味付けが、日本人向きではありません。結局スペアリブもほとんど手付かずでした。

食事の後は当然お茶です。もちろん中華料理にウーロン茶などがついてきますが、緑茶一辺倒の私には、興味の範囲外。とは言え団体行動ですので、一応ウーロン茶の講義も受けました。


(熱いお茶はこうして飲むのが作法です… 7-8種類のウーロン茶を試飲しましたが、緑茶に勝るものなし 後ろのガイドさん盛んにパチリ、ムム嫌な予感)

飲み物の話が出たついでに、日本では街中いたるところに自販機があって、手軽によく冷えた清涼飲料水が手に入ります。上海では街中で自販機は一度も見かけませんでした。ガイドさんによると、地下鉄の駅など一部に設置してあるそうですが、種類は多くないとのこと。街中で時折見かけるコンビニ(ローソンが多いように見受けました)では、結構飲み物の種類は多いようですが、緑茶に関しては、見かけませんでした。ただラベルに緑茶とあっても、微糖ですので日本人の口には合いません。殆どの飲み物が2-4元(30-50円程度)ととても安いようです。ただ輸入物のエビアンは12元(160円)とちょっと高めです。ちなみにツアー中に立ち寄った店舗の喫茶コーナーのメニューと値段表を上げておきます。


(ビールは10〜15元=130〜200円 最上段は青島チンタオビールです コーラー類は5元=65円ほどです)


(3) 街かど

共産主義国家と言うことで宣伝広告も、かなり規制が強いものと思っておりました。でも新天地に入るなり、かなりきわどい広告を目にして驚きました。それだけ開放が進んでいるともいえます。それ以外にも目を惹く広告がありました。欧米人をモデルに使った斬新なというか、洗練された広告が多いように思いました。これも上海と言う特殊性が大きいなかもしれません。北京と違い上海は長く欧米の租借地であったために自由度が大きいのかもしれません。


(この垂れ幕があちこちに懸かっていて、どうしても目が行ってしまいます)


(絹織物工場兼販売店の入り口で見かけました 奥はシルク製品が並べられています)


(街中の酒屋さんかレストランの広告)


(小さな交差点で見つけた工事塀に書かれた人物像)


(塀に書かれた広告? 「食色声香」同じ広告をあちこちで見かけました PCで検索すると簡体語の文章が出てきて、意味は分かりません)


(4) 庶民の生活環境

今回の駆け足ツアーでは、観光名所を短時間で回るというもので、現地でじっくり市民の生活を観察したものではありません。本来であれば、市場や一般商店で買い物などして回りたかったのですが、それは次回と言うことにして、垣間見た印象を写真とともに紹介したいと思います。2008年の北京オリンピックや2010年の上海万博の際に、国の威信をかけて、バラック建ての住宅街を塀を囲って取り壊し、近代的なマンション群に建て替えたのは、TV報道されていました。今回バスで高架道を移動中にも、新しい超高層マンションと、旧住宅が併存している光景を何度か見かけています。古い住宅街も徐々に建て替えられているようです。


(新旧住宅街)


(途中まで取り壊しが進んでいるが、住人と交渉が進んでいないところはごらんの通り)


(運河にごみを捨てては…)


(近くの市場からの帰りかな、荷籠には茄子? ステンのボウルは何をするのかな?)


(5) 絹織物の工場を見学して

蘇州の代表的な特産物の一つとして挙げられるのが絹織物です。三国志時代(紀元前200年頃、歴史上では春秋戦国時代)にはすでに絹織物の技術が完成し、中国一の生産量を誇っていたといわれています。西方交易のいわゆるシルクローの東端で、後年(唐代)日本にも技術が流れてきています。ともあれ、今回のツアーでその歴史の一端を垣間見ました。


(5-6個の繭から糸を機械で撚って一本に糸にします)


(見学コースには実際の蚕と桑の葉があります)


(糸を紡いだ後は繭の中の虫だけが残ります これは池の鯉の餌となる)


(掛布団を製作中 見学者も糸を引っ張って…)


以上を以て上海ツアーの報告を完了します。あくまでも意見にかかわる部分は私見です。またガイド氏さんの言葉や伝聞をもとにして文章を作成しておりますので、多々誤認があると思われますので念のため申し添えておきます。

6月は運動会のシーズン

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梅雨のない北海道では5月の末から6月上旬に小学校の運動会が集中します。今年3月末で閉校となった量徳小学校の児童たちは、汐見台小学校と花園小学校に分かれました。うちの孫たちは花園小学校に通学するようになりました。6月の9日花園小学校で、統合後初の運動会が行われました。グランド補修の遅れで、例年よりも1週間遅れの運動会と言う事でした。

統合によって児童数が5割近く増加したにもかかわらず、グランドの広さは従来のままです。父兄による場所取り競争の激化が予想され、事前に学校側によってルールが決められました。とは言え少しでも良い席を取るべく、事前に定められた順番待ちスペースには、前日の夜半から並ぶ父兄も見られました。私も娘に孫のためだとおだてられ、午前4時過ぎに列に並びました。その時はすでに53番目でした。午前6時の花火とともに、5人一組毎1-2分間隔でにグランドへの入場が許されます。事前のルールが徹底され、大きな混乱もなく場所取りが整然と進んでいきます。場所が確保でき次第、一旦自宅に戻り、運動会開始の9時前に、娘たちと席に着きました。

6月9日は、事前の天気予報では曇り時々雨でしが、前日8日の夕方TVの気象予報では曇りでした。ところが、当日午前4時過ぎに並んだ時には、朝日がまぶしいほどで、絶好の運動会日和となりました。校長先生の挨拶の中でも、統合問題に触れ、児童数の増加で友達の輪が広がり、遊びに勉強に好影響が出ていますとのことでした。運動会でも、今年から全学年二クラスとなり、紅白合戦も一段と熱が入っているとのこと。開会式、ラジオ体操の後は競技開始です。


(事前の天気予報が外れ、絶好の運動会日和となりました)


(全学年による大玉送り 高学年では頭上で玉を送る)


(低学年では列の間を転がす)

団体競技の後は、1〜6年生各学年で、個人競技の徒競走が行われます。グランドが小さくて直線で徒競走が行えず、セパレートコースでカーブを走ることになります(量徳小では直線80m走が可能でしたが)。


(3年生の孫は着外…最初のスタートで1コースがフライング再スタートとなるも、5コースの孫は気がつかずに半分ほど全力疾走 残念)


(ぐるぐるUFOキャッチャー 3人一組でポールを回り、次いで踏み台でボールを空中に挙げバケツで受け止める競技)


(内外の回るバランスが難しく、それると時間をロスする)


(父兄による紅白玉入れを応援する児童 次の競技の服装で)


(3-4年生によるYOSAKOIソーラン 訛のきつい伊藤多喜男のソーラン節に合わせて)


(最後の決めポーズもバッチリ)


(駆け足で席に戻る)

その後いくつかの個人競技、団体競技を経て午前の部が終わりました。花園種学校のグランドは高台にあるためか水はけがよすぎて、砂埃がたっています。先生・児童が協力して散水しても、あっという間に、吸収され再び砂埃がタちます。さて午後の一番は、「ありの棒引き」です。旧量徳小学校の伝統競技が、統合後も引き継がれたようです。一本の棹を赤白両側から引き合い自分の陣地に引き込むゲームです。最初は5年生、6年生毎に競い合い、三回目は、5-6年全員による乱取りです。


(5人一組で引き合い、自分の陣地に引き込めば、その組の競技は終了)


(紅組5人のうち二人が手を放してしまった 勝負あった)


(最後まであきらめないぞ!)


(乱取りの始まり、5人一組のルールはなくなり、制限時間内であればどこに参戦しても構わない)


(早々に諦めて別の仲間のところに走り出す児童も…)


(競技中に転倒する児童も多い あわてて先生が駆け寄るが、大したことなさそう)


(競技のつなぎ進行は、放送委員の児童が担当する)

さらにいくつかの個人競技が行われ、運動会最後のレースとなりました。最後は紅白、青黄含め4チームによるリレーです。青は赤チームに、黄色は白チームになります。結果は1位、2位が黄色、白チームで圧勝でした。


(先生がコース取りを指示する)

運動会最後まで好天に恵まれ、午後2時半ころには統合花園小学校の第1回運動会は無事終了しました。孫娘二人とも(3年生と5年生)、運命走、徒競走でそれぞれ入賞を果たし満足気でした。それにしても午前4時からの仕事(と言えるかどうかわかりませんが)、疲れた一日でした。

立川市で過ごした2年余

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平成12年3月から14年7月まで、八王子に勤務していたころ官舎が立川市にあった関係で、立川市内のあちこちを撮影しました。単身赴任の気安さから土曜日曜には自転車にカメラ機材を放り込んで、昭和記念公園や多摩川沿いの土手、時には隣町の日野市にまで出かけました。なぜ、今頃立川市のことを、と思われるでしょうが、どういう訳か、Twitterのフォロワーの方々の中に立川市の方が5-6人おられます。Twitterで立川のことを取り上げた記憶がないのですが…

ともあれ、彼らのTweetを読んでいると10年前に暮らした立川のことがとても懐かしく思い出してしまいます。そういえば立川での写真がたくさんあるにもかかわらず、ブログで取り上げたことがないことに気づきました。官舎は錦町3丁目にあり、駅まで徒歩で10分ほどです。立川はJR中央線に加え、南武線、青梅線の始発駅でもあります。また多摩都市モノレール線がJR駅そばを走っていて、交通の要所ともなっています。休日には立川駅からJRであちこち写真撮影に行ったものです。


(1) 桜満開のころ

3月下旬に赴任して官舎に入居したときは、桜が満開だったことを覚えています。雪がまだパラついている小樽から、まるで南の国に引っ越したような明るい気分になったものです。


(日野橋手前の立川公園付近 赤外フィルム使用のため土手の芝生が白く映っている)


(立川病院裏手の駐車場も満開) 


(H13.3.31この日は朝から季節はずれの雪が舞う あわてて「満開の桜+雪」を撮りに走る しかし画像からは桜が散っているのか雪かはわからない)


(立川の隣りJR駅国立駅 ユニークなこの駅舎も建て替えられたと聞きました 駅前の大通両側は桜並木が続きます)


(2) 錦町3丁目の自宅(官舎)

2Fのベランダからは富士山も見えますが低層マンションの上にちょこんと山頂が見えるだけでとても絵になりません。平成13年の11月には世紀の流れ星軍団が見られると新聞紙上でも大きく取り上げられましたしし座流星群。19日の深夜ベランダでしし座流星群を撮影しましたが、何分の大都会、光害の上、雲が濃くなり撮影に成功とはいきませんでした。それでも画面片隅に申し訳程度に写り込みました。


(H13.3.19撮影 ネガをルーペで拡大してみると、右隅以外にもかすかにあるのですが…)


(15?対角魚眼レンズでデフォルメしています)


(ジェット機が一機日中の月をめがけて…)


(自宅近くには日本で何番目に古いといわれる「立川第三小学校」や朝鮮学校があります 幼稚園児の通学路にもなっている)


(3) 多摩川河畔

立川市と日野市の間には多摩川が蛇行しながら流れています。多摩川の堰堤までは、自宅から自転車で数分です。河岸段丘を下ると堰堤に着きます。冬の空気が澄みきった日には遠くに富士山が姿を現します。夕焼け空をバックにここで何度も富士山を撮影した記憶があります。


(富士山手前の光の流れは、JR中央線の電車の光跡です)


(多摩川河川敷から夜明けを撮ったもの)


(同じような位置からワイドで撮ると…)


(日の出前に日野橋を渡ると、右側にはモノレールが走る立日橋、さらに奥には中央線の鉄橋がある)


(3) お祭り

市内最大の夏祭りは8月下旬に行われる諏訪神社の祭典諏訪祭でしょうか。諏訪際に連動して地域のお祭りも同時開催されているようです。


(お神輿が何基も繰り出され、百数十の露店が並び立ちます)


(路上に置かれた太鼓を興味深げに叩こうとしている幼児)


((東立川の羽衣町では、夏祭りとしてねぶたを繰り出す 商店街会長が青森県木造町の出身であり、その縁でねぶたを借用しているとのこと)


(同商店街主催ねぶたフォトコンテストで「東立川商店街賞」を頂きました)


(4) 昭和記念公園

昭和記念公園の沿革についは、当ブログ(2009.4.23付け「私の好きな撮影スポット」でも触れておりますので、ここでは省略します。自宅から自転車で10分ほどのところにこの国営の公園があります。かつて楓軍基地だったこともあってその広いこと並みの公園ではありません。もっとも半分近くは隣接の昭島市に所属します。


(「満月の 夜に遊ぶは 子狸か」夜桜見物で夜間開放された折、子供たちが近くの遊具で遊んでいるところを撮影)


(クリスマスイルミネーションで飾られたシャンパングラスピラミッド)


(公園内には数多くの銀杏の木があるが、偶然赤いセーターの女の子が両手を広げた)

(5) そのほか

まだまだ紹介したい画像がありますが、次の三つで終わりにしたいと思います。


(青梅レンゲ草祭 転勤直後、家内から全国放映TVで見たよと言われ、あわてて駆けつけました)


(通勤途上で見た富士山 毎日行き帰りこの光景を目にしました)


(御嶽駅近くの「スターの木」と呼ばれる大きな銀杏の木)

今週の一枚〜芍薬を撮る

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5月25日から7月5日まで、小樽貴賓館(旧青山別邸)で牡丹・芍薬祭りがおこなわれています。今週の火曜日(19日)に撮影に行って来ました。幾分時機を失したかなと思いましたが、芍薬が結構咲いておりました。牡丹は5月下旬から咲き始め、ピークをすでに過ぎたらしく、見かけませんでした(あったのかもしれませんが…)。と言うより、私自身牡丹と芍薬の見分けがつかないんです。両者ともに、牡丹科牡丹属ですので素人が見分け付かないのも無理はありません。

一般的に、牡丹は1〜1.5mほどの木になって冬を越します。一方芍薬は草であって冬には立ち枯れて、球根で越冬します。簡単に言うと木と草の違いでしょうか。それにはの形状も幾分違います。牡丹は一枚の葉に切り込みがありますが、芍薬の葉は幾分細く切り込みがありません。


(この日は東京の高校生の団体が来ておりました 修学旅行の見学ポイントになっているとは驚きでした)


(葉っぱがスレンダーですね、芍薬の特徴)


(ひょっとして牡丹かもしれません)


(赤い日傘を取り込んで幾分アートっぽく)


(最初見たとき、あれ!ハスかな?とおもってしまいました)


札幌初夏の風物詩〜YOSAKOIソーラン(その1)

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札幌初夏の風物詩と言って、まず思い当たるのは大通公園のライラックやトウモロコシ売りでしょうか。さらに雪まつりに匹敵する規模に膨れ上がった「札幌YOSAKOIソーラン祭り」ではないでしょうか。今年も6月6日(水曜)から10日(日曜)まで5日間にわたり行われました。海外3チームを含め271チーム(団体)、参加者約27000人(踊り子他スタッフ)、観客数約198万人と言う規模でした。出来れば9日、10日と両日撮影に行きたかったのですが、あいにく9日(土曜)は孫の運動会。10日に写友5人で出かけました。

当初雨の予報でしたが、時折日差しが射す絶好のYOSAKOI日和。演武開始前に札幌駅に着いた時には駅前広場は、YOSAKOI衣装の人たちであふれかえっていました。JR札幌駅前会場で演舞するチームがあちこちで準備に余念がありません。衣装を整える踊り子、化粧をチェックする踊り子とまさに絶好のスナップチャンスが目の前に転がっています。


(背中の風林火山は甲府のチームです 演武会場に向かうようです)


(編笠をしっかり締め直す踊り子)

JR札幌駅前会場は狭くて込み合いますので、撮影には不向きです。場所を移動することになりましたが、写友4人はサッポロファクトリー会場へ、私は大通公園会場へと向かうことにしました。事前に公式ホームページで、大通公園会場で演舞するチームの時間割を把握していましたので、撮影したいチームが出る方を選んだのです。「AOMORI花嵐さくら組」が大通南コースを10:12出発、「北海道大学縁」が大通北コースを11:36発です。この二つのチームの撮影が出来ればよしです。早速地下鉄で大通公園に向かいます。


(入線する地下鉄をスローで…)


(地下鉄駅から地上に出ると青森チームの演武が始まっています 7丁目、8丁目へと先回りして待ちかまえます)


(似たカットが多いと飽きるのでPhotoshopで変化をつけてみました)


(もう一つ変化球を…)


(スローシャッターでブレを強調)


(目が回る…)


(衣装が次々と変わり、踊りも終盤近い)


(最後の決めポーズ)


(旭川の社会人、学生と千歳、深川の学生による混成チーム「すさび&光一天」)


(魅力的な女性をアップで…)


(すさび&光一天チームの3連発)

さすがにこれだけ連続して撮影していると疲れてきます。公式ガイドブックを見ても有力チームである北海道大学縁の演武までには多少時間があります。しばし休憩です。9丁目の公園内では演武の終わったチームが公式写真を撮影しています。ふと見るとAOMORI花嵐桜組の踊り子たちが集まって雑談をしております。カメラを向けると一瞬指をさしました。


(どうやら私の後方の西8丁目のメイン舞台会場で演舞しているチームを指さししているようでした)


(大通南コースを演舞する「花昇舞」 三重県津市からの参加)


(ひょっとこのお面を頭の後ろにつけて…)


(参加最高齢者ではないかな? じっちゃもばっちゃも鳴子両手によう踊る♪に合わせて鳴子を)


(思わす、おおっと声が出た! 次の瞬間パチパチと連写のおと… 鉄パイプがなければ…)

次回、札幌初夏の風物詩〜YOSAKOIソーラン(その2)に続く。

札幌初夏の風物詩YOSAKOIソーラン(その2)

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札幌YOSAKOIソーラン祭りは、市内16の会場に分かれています。メイン会場は、特別観覧席があって、表彰式での演武が行われる大通西8丁目会場です。ついで大通パレード会場で、北コース、南コースに分かれています。1区画離れたすぐ近くに三越、丸井今井前会場があります。両会場の出場チームや時間割をチェックしながら撮影場所を決めるという忙しさです。休憩している間に北海道大学「縁」チームの出番が迫ってきました。11時36分大通北コースで始まります。


(おやっ、着ている衣装が去年のオレンジから深緑に変わった?リバーシブルになったようです)


(さすが学生チーム、大きく何度も、何度も飛び跳ねます)


(踊りは去年と大差ないようです)


(咆哮!)


(女子学生も負けてはいない)


(出ました、赤フンが、観客席からはやんやの喝采と激励の言葉が浴びせられる)

観覧席の無い9丁目、10丁目で撮り終えて、時計を見ると12時を回っています。西6丁目公園のフードパーク内で昼食を済ませることにします。しかしどこの屋台も、ちょうど昼時間帯とあって混んでいます。去年は確か名古屋市内業者の出展ブースで、名物味噌カツ定食を食べ美味しかった記憶があります。今年もと思い並ぼうとしましたが、ものすごく大勢のお客さんで、とても時間待ちできそうにもありません。隣の割とあいている滝川市の名物ジンギスカン定食にしました。う〜ん、筋と脂が多く、ほかのモノにすればよかったと反省しきり。


(公式ガイドブックから会場のマップ)

ガイドブックで大通会場の午後の部の出場チームを見ましたが、見覚えのあるチーム名が見当たりません。13:00から一番街三越前で、ロシアサハリンチームの演舞があるようです。さらに13:42からは再度北海道大学「縁」チームの演舞があります。早速三越デパート前に移動です。すでに大勢の観客が立っていて、カメラを構えるスペースがありません。しかし、演舞終了と同時に前方の茣蓙席の数人が立ち上がり歩道に出て行きました。すかさず、茣蓙席の一番前に陣取ります。


(サハリンチームは、いくつかの民族がそれぞれの民族衣装で踊ります)


(民族名はわかりませんがモンゴルに近いのかな?)


(茣蓙席の目の前に!う〜ん、ワイドレンズを持ってこなかった)


(美人が多い 目移りしてしまう)


(男性も親しみのある顔で…)

次に演舞するのは台湾の体育大学の学生チームと言うことです。ここで外国からの3チームのうち2チームを見ることができるとはラッキー!です。


(金色の蝶が跳ねているように見えました)


(さすが体育大学学生の演舞、見事に揃っています)


(適度に肌を露出していて、観客サービスにも配慮)


(おっと、男子学生もいました 足並みが…そろっていない)

と言うことで、北海道大学「縁」チーム、海外2チームを紹介しましたが、撮影はこれだけにとどまっていません。多数のチームが同時に演舞しますので、撮影していてもチーム名を失念してしまいます。最後にいくつかのカットを紹介します。


(三越会場での演舞ですが、この会場については公式ガイドに出場チーム名の記載がありません)


(名古屋の学生チームでした)


(AOMORI花嵐桜組の写真撮影担当者かな、なかなか避けてくれず、沿道で撮っている方はいら、いら…)

4−6月のフォトコンテスト入選状況

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4−6月の入選件数は13件と、前年と同じ件数にとどまりました。まずまず健闘したかなとは思いますが、前年はこの期間に賞金額の大きなコンテストが2件ありましたが、今年はその2件とも選外に終わってしまいました。残念ながら賞金額では大きく下回ってしまいました。また前年は最高賞に輝いた「あなたの桜色フォトコンテスト」も2次審査(最終審査結果は7月発表)で敢え無く敗退。年初のおみくじの言葉「今年はなかなか思うようには進まない」が頭をよぎります。まぁ、気を取り直して7月以降のチャレンジに期待です。以下主な入賞・入選作品を紹介したいと思います。


☆ OCN「アニメのある風景」フォトコンテスト 7位「黒猫のジジ」

<コンテスト要綱から>
日本が海外に誇る文化の一つとなったアニメと特撮。
フィギュアやプラモデルといった個人が楽しむものをはじめ、原作者の生誕地には記念館や博物館ができ、各地にはアニメや特撮の舞台となった“聖地”が…。OCNアニメ・特撮では、そんなアニメ・特撮の聖地やイベント、施設、あなたのコレクションなど、アニメや特撮のある風景写真を大募集!アニメや特撮を愛するみなさまの想いのこもった作品で、ぜひ盛り上げてください。たくさんのご応募お待ちしております。


(魔女の宅急便に出て来る黒猫のジジ)


☆ あなたの美味しい記憶フォトコンテスト 美味しい記憶賞「キノコ汁あっちち」

K食品会社が主催するフォトコンテスト


(国道5号線仁木町にある道の駅「キノコ王国」でキノコ汁を食べる孫娘 慌てて食べて、あっちち)


☆ アスカネット第8回「冬の一こま」フォトコンテスト 3等「群来きたる」

アスカネットは、デジタルプリントやフォトブックの作成、あるいはストレージサービスを提供するネット系の会社です。定期的にテーマを設けてフォトコンテストを実施しています。


(小樽の海岸に、毎年2月頃ニシンが産卵のため浜辺に押し寄せてきます、オスニシンが放精したために海が白く濁っています、これを群来クキと呼びます、数年後には大きく育ったニシンが前浜に押し寄せてきます)


☆ アスカネット第9回「一期一会」フォトコンテスト 3等「終漁の時」


(日本最北端の地稚内ノシャップ岬では、夏は午後8時近くなっても夕焼けで真っ赤になります 浜辺の漁師の家はすでに灯りが消され、静まり返っています)


☆ 第4回SDフォトコンテスト 銅賞「子狸勉強中」

<コンテスト要綱から>
写真電気工業株式会社のホームページで行われるフォトコンテストです。今年のテーマは「人工光」。照明機材使用の室内で撮影された写真を募集致します。被写体はどんなものでも構いません。人物は肖像権の許可があるものでお願い致します。プライベートな未発表の作品などございましたら一度ご応募してみませんか?ネットショップさまの商品撮影されたものでも構いません!作品タイトル、コメント(苦労された点や撮影裏話など)を添えてどんどんご応募ください。

画像についてはこのページでの掲載を控えます。なんせ、孫娘も恥ずかしがる年頃になりました…、娘からもNETに写真載せるのを控えるようお達しがありました。
(孫娘に狸のメイクを施し、教科書のわきから顔を出したところを撮影 円形の蛍光スタンドの後ろから撮りました)

<審査員安珠氏講評>
可愛い!たぬきのメイクをしていなくても、きっとかわいいお孫さんだと思います(笑)。
円形の蛍光灯スタンドを入れて撮ったアイデアで不思議な世界観が出ました。
リングライトのように均等に光が回っていますね。


☆ 第7回HAKUBAフォトコンアワード「新緑」 佳作「白樺の小道」

写真用品メーカーのHAKUBAが主催するフォトコンテストで、風景部門、スナップ部門、マクロ部門のサークルがあります。年に数回時季折々のテーマを決めてコンテストを実施しています。数年前までは会員相互の互選で入選を決めていましたが、組織票による不公正云々という意見があり、近年はHAKUBAのスタッフによる審査で決まるようになりました。


(倶知安町郊外富士見町の湧水地にある白樺並木)

<HAKUBAスタッフの一言>
水面と地面との割合を半々ではなく、水面を多くした構図が印象的で、その場の 静かで澄んだ空気が伝わってきます。他の移りこみを入れず白樺だけに絞った事により、森の木と木の間を流れる春の空気をより感じさせる一枚☆


☆ FUJI Fotonoma 第7回「旬の写真館〜春」 PickUp作品賞「ガラス工芸品」


(小樽堺町通りにある観光土産品店の店先のガラス製品をパチリ)

<講評> 
柔らかな春の光の中のガラス細工を逆光で捉えた作品ですが、もう少しポイントを絞り込んだほうがより強調できたと思います。画面右側をカットしたトリミングか、思い切って画面中央のみを縦位置にしてトリミングしてみたらどうでしょうか。


☆ FUJI Fotonoma 第6回「旬の写真館〜冬」 デアゴスティーニ賞


(1月に北海道開拓の村のモデル撮影会の時の写真です 小雪がぱらついていい演出となりました) 


☆ CAMERA REVIEW JAPAN第3回フォトコンテスト「ハイキー調」 優秀賞「桜一輪」


(神社境内の手水鉢に落ちた桜一輪、後方にある九星運勢のパステルカラーの立て看板の色が映り込みました)


☆ SKYGATE旅の思い出フォトコンテスト 入賞「スコールの中のラッシュアワー」


(昨年6月に雨季のベトナムハノイを訪れた際に撮影した一枚)

13件のうち主な作品10件を紹介いたしました。それ以外に現在1次予選を通過して読者の投票期間中の作品が1件、同じく予選を通過して7月7日に最終審査を行う作品が1件あります。後者は「神戸市トーアロードビジュアルフェスタ・街と人が行きかう風景フォトコンテスト」です。最終審査未了ですので作品は掲載できません。なお前者については、予選通過6作品による投票受付中(7月30日まで)ですので、よろしければポチッていただければ幸いです。6作品のうち投票数上位3点が入賞です。入賞賞品ですか?名誉だけらしいです。


☆JENESYS(国際交流協会)第5回写真コンテスト(テーマ山) 出品作品「羊蹄山と二本のサクランボの木」



投票画面(JENESYS写真コンテスト画面)→こちらですhttp://sv2.jice.org/jenesys/exchange/contest/

沖縄の思い出(その1)

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過去に撮りためていた花の画像を見ていて、この時期沖縄では、ハイビスカスやブーゲンビリアが綺麗に咲いているのだろうなと急に思い出してしまいました。沖縄には何度か旅行をしています。最初は昭和56年頃で、家内と幼稚園児であった長女を連れて、その翌年にも訪れています。沖縄には、大学同期のM君がおり、二度ともM君の家族とともに那覇市内のホテルで会食したことがあります。

平成16年退職間近な時期にも家内と訪れ、M君の自宅で沖縄料理をごちそうにないました。食後に頂いたミカンに似た「タンカン」(九州・沖縄特産)がとても甘みがあって、美味しくすっかり虜になってしまいました。北海道ではめったに見かけることはなく、九州特産品展でもない限り手の入らないのが残念です。H18年の4月には、どうしても沖縄の海に沈む夕日が撮りたくて、8日間の撮影ツアーに行ってきました。名護市のビジネスホテルに泊まり西海岸のビーチを、毎日のようにレンタカーを走らせました。8日間粘っては見たものの天候不順が続き、期待した夕陽は撮れませんでしたが、沖縄の青い海を満喫してきました。H16年と18年の画像から二回に分けてご紹介したいと思います。


<沖縄海洋博公園付近>

まずは名護市周辺地域のうち沖縄海洋博公園の美ら海水族館から見ていきましょう。この公園は昭和50年の沖縄日本本土復帰を記念して開かれた沖縄国際海洋博覧会の跡地を利用して作られ、水族館ほか、エメラルドビーチ、熱帯・亜熱帯植物園などがあります。


(沖縄というと美ら海水族館、というほど有名な水族館)


(目の前を大きなエイが悠々と泳ぐ 迫力満点)


(いい写真が撮れたかな?)


(南国の花 名前はわかりませんが台湾でも見た記憶が…)


(黄色いブーゲンビリアがあったとは…)


(H18年4月、7年ぶりに咲いたという大宝灌木=通称ベネズエラのバラ)

<琉宮蝶々園>

海洋博公園から車で5分ほどのところにあります。琉球と竜宮城を足して二で割ったようなネーミングの「琉宮」が笑わせますが、ここでは国の天然記念物にもなっているオオゴマダラが飼われています。日本で最大の蝶で羽を広げると15cmにもなります。さらにびっくりしたのは、オオゴマダラの蛹が、金色だったことです。


(これが本物の金であれば、一個持って帰りたい…)


(オオゴマダラは、赤い色が大好きだとか… 近くにいた子供が造花のカーネーションを揺すっている)

<今帰仁城跡>

琉球王朝成立以前の城郭の跡で、世界文化遺産にも登録されています。


(駐車場近くの売店 屋根にブーゲンビリアであろうか蔓が張って花が咲いていた オレンジ色のペットボトルはシークァーサ)


(城郭の近くに蔓草に覆われた木が一本)

<名護市及び周辺>

名護市内から海岸に出ると、21世紀の森公園があって、目の前には21世紀ビーチが広がっています。その海の青さは目をみはるばかりの青さです。ここで写真を撮影していて気づいたことがあります。この時カメラは、一眼レフの「CANON EOS Kiss DigiN」とコンパクデジの「FUJI FINE Pix F11」の2台です。海の青さが全く違うのです。これまでもCANONのカメラの色づくりには不満を感じていましたが、沖縄の海を撮影してさらにはっきりしました。FUJIのカメラは、さすがフィルムメーカーです。色づくりが上手です。以下同じシーンを、画像の色調整なしでアップしておきます。


(CANON EOS Kiss DigiN 海の青さが全く出ていません、赤みが強く濁った感じです)


(FUJI FINE Pix F11 撮影モード=フジクローム 海の色、空の色が見た目どおりです)


(名護市内ではブーゲンビリアが街路樹となって色を添えています)


(亜熱帯の動植物が飼育されているネオパーク沖縄 見たことのない鳥が…)


(6000平方mのゲージには数百種類の鳥類等が放し飼いにされている フラミンゴの目が…)

<ブセナビーチ>

名護市の最南端にあるブセナビーチは、2000年に九州・沖縄サミットの会場となったブセナテラスがあります。ホテルの突端には海中展望塔があり、海中を泳ぐ魚たちが見られます。またグラスボートも出ていて海底のサンゴ礁などが楽しめます。


(ビーチには色とりどりの遊具が揃えられているが、本格的観光シーズン前で人もまばら 右奥が海中展望塔)


(この日は待ちに待った快晴の日 ひょっとして夕陽が…期待が大)


(地平線がもやがかかっていて大きな夕陽にはならず…)


(ソテツの木を入れて南国らしく…)

次回その2では、西海岸のビーチ、伝統工芸の体験村、琉球村やむら咲むら等を紹介します。

日本最北端の地を目指して〜その1

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6月25〜27日、写友3人で道北写真撮影ツアーに行ってきました。これまで写真仲間フォートピアの連中とは、帯広・釧路など道東へは年に2-3回撮影旅行をしておりますが、道北は初めてです。私自身は、学生時代に自動車部の部活で7泊8日の全道沿岸一周旅行に行ったことがあります。この時が生まれて初めて、稚内の地を踏みました。その後、その後現役の時代に、勤務先の同僚と2度ほど道北旅行をしております。H16年の、退職1年前にも、一人でノシャップ岬にまで行きました。というわけで今回が5度目の道北ツアーになります。

今回のルートは、1日目に高速道路を使って旭川に行き、その後道道333号線を走り、白滝、佐呂間、網走に出ます。時間があれば、小清水原生花園、能取湖、サロマ湖を回り、サロマ湖で夕陽を撮ろうという予定です。翌日二日目は、オホーツク海沿いを北上し、日本最北端の地宗谷岬を回って稚内で宿泊です。最終日はサロベツ原野の海沿いを走り小樽に戻ります。1日当たり、350?前後の走行距離を予定しています。

当日25日は朝4時半に自宅を出て高速道路に乗ります。旭川を経由して白滝、遠軽方面に向かいます。天気予報では今日は曇りマークです。案の定空は分厚い雲に覆われて、周りの風景も濁ったように見えます。時折雲の割れ目から日が差すようになりました。


(この日はあいにく曇り空、空の割れ目から日が差しました 一瞬の出来事でした 佐呂間町若狭地区にて)

天気が今一つよくないために、網走湖、能取湖畔を走っても絵になりません。一旦網走市内の道の駅「流氷街道網走」で観光情報を集めます。色々なパンフレット等を参考にして、小清水の原生花園やその途中にあるJR釧網本線の無人駅を撮ることにしました。国道244号線を東方面、小清水・斜里に向かいます。最初に海岸沿いに見えたのがJR藻琴駅。


(JR藻琴駅 次に紹介するJR北浜駅とともに、高倉健主演の「網走番外地」のロケ地となりました)


(線路の反対側からホームを見る ルピナスが盛りですが手入れされていないために、繁殖力の強い紫色だけになってしまいました)


なお、藻琴駅も次の北浜駅も民間に委託されているのか、駅舎の半分が喫茶店・レストランになっています。訪れたのが午前10時前でしたがいずれもオープン前でした。藻琴駅から車で3-4分の北浜駅も、ロケ地となっていますが最近中国映画のロケ地として使われました。

北海道ブームを引き起こした中国映画史上最大級のヒット作「非誠勿擾」(日本語タイトル「狙った恋の落とし方」)は、自然豊かな道東の名所各地でロケが行われました。2008年9月に、釧網線の北浜駅で撮影が行われ、主人公達が北海道へ誘われた玄関口の舞台として、重要な役割を担いました。


(赤いポストは道内では各所で現役で使われていますが、内地や中国、韓国では珍しいらしい)


(駅舎の中はごらんのとおり、名刺やメモがくまなく張り巡らされていて、帯広の旧幸福駅と似ています ただ、北浜駅は無人駅ですが、現役です)


(駅付近から西、つまり網走方面を見ると、線路と波打ち際がどこまでも続きます)

さらに車を東に走らせ、小清水原生花園に向かいます。道の両側にエゾカンゾウやハマナス、エゾスカシユリが見えてきます。駐車場に車を止めてあたりを見回すと、いたるところにハマナスが咲きエゾスカシユリも見えます。駐車場に設けられたお土産品店の中には、原生花園に咲く花々の写真があります。踏切の向うには夏季限定(5-10月のみ列車は臨時停車する臨時駅)のJR原生花園駅があり、その横から遊歩道が続いています。


(線路脇にエゾスカシユリが一輪)


(手前の赤はハマナス)


(夏季臨時駅の原生花園駅)


(徒歩1周30-40分ほどの遊歩道が続いている)


(原生花園内で見られる代表的な花たち)


(滅多に見かけることのないクロユリを見つけました)


(シシウド 内地では高山植物とされ平地では見かけることがないとか、道内ではどこにでもあります)


(エゾスカシユリが群生している)


(エゾカキスゲ=黄色、とエゾスカシユリ=オレンジの中を列車は走る)

小清水原生花園での撮影を終えましたが昼にはまだ1時間ほどあります。原生花園に接している濤沸湖を一周することにします。地図によれば牧場があるらしいのですが、結局見つけることはできませんでしたが、途中でキタキツネに遭遇したり、農作業風景を撮影することが出来ました。


(子ぎつね2匹は隠れてしまいました 真ん中が親狐らしい)


(手前は麦畑ですが、奥は長葱畑)


(この日は寒く、気温11度しかありませんでした 暖かい大地から湯気が立ち上っています こういう光景があちこちで見られました)

一旦網走市内の道の駅に寄って昼食を取ります。昼過ぎになると、天気も回復し、時折日差しが射すようになってきました。サロマ湖の夕景撮影までにはまだ6-7時間もあります。と言うことで、網走を代表する名所、そうです網走番外地に行ってみることにします。映画網走番外地シリーズで観光地となった「網走監獄」はもともと網走駅近くの(と言っても2?ほど)三眺町無番地(いわゆる番外地)にありました。その後昭和59年に、木造の建物を移築して、天都山の麓、呼人町に「博物館網走監獄」として再現されたのです。三眺町には、現在網走刑務所がありますが、もちろん内部の見学は出来ません。


(入監料800円のところ、シルバー割引で520円で入れます 中は博物館、旧獄舎も再現されています)


(入り口中央に監視室があり、5方向に伸びた独居房があります)


(その一つを奥に進むと…)


(映画のポスターや、ミニチュアセットのある部屋で、ホログラムが…)

写友3人無事出獄しても夕景撮影までにまだ時間がたっぷりあります。ということでサロマ湖の東端の栄浦にある「ワッカ原生花園」に行ってみることにしました。この辺りはかつて網走管内常呂町と称しておりましたが、その後北見市との合併で、北見市常呂町になったようです。午後4時過ぎに着いた時にはさすが観光客は少なくて、超望遠レンズを抱えた、野鳥専門のカメラマンが数人いるだけでした。それにしても肌寒い。ワッカネイチャーセンターの係員によれば、昨日は20度を超えていたのに、今日は10度しかありませんとのこと。野鳥撮影用の超望遠レンズを持参しておりませんので、花を撮影して切り上げました。


(ムシャリンドウ)


(ハマナスとセンダイハギ)


(エゾカンゾウ)

小清水原生花園では、「エゾキスゲ」が、ここワッカ原生花園では「エゾカンゾウ」が見られました。両者の区別がつくでしょうか。
☆エゾキスゲ 花が黄色で、夕方に咲き始め翌日の昼頃しぼみます。いわゆる夜に咲くのが…♪=キスゲ
☆エゾカンゾウ 花がややオレンジっぽい 朝から夕方まで咲く昼の花 別名ニッコウキスゲとも言われます。
え?カンゾウがキスゲで、キスゲがキスゲ?一層混乱してしまいます。いいんです綺麗であれば…

撮影は5時ころ終わりましたが雲が低く垂れこめ、夕陽は望めそうにもありません。ホテルに戻って、反省会です。

沖縄の思い出(その2)

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前回は沖縄本島中央北部の名護市周辺を取り上げました。今回はブセナビーチの続きと、それ以南の各ビーチ、伝統工芸村、那覇市内を取り上げます。


<ブセナビーチ>


(海中展望塔のらせん階段を下りると、丸窓から魚の泳ぐ姿が見える)


(北海道では見られない、熱帯魚のような魚が泳いでいる)


(日差しは初夏のよう、観光客はまばら)


<インブビーチ>

ブセナビーチの1?ほど南にあるビーチです。


(誰もいないビーチを若い女性の二人組が散策していました)


<サンマリーナビーチ>

西海岸を走る国道58号線をさらに南下すると、恩納村の有名な「万座毛」があります。離れたところからしか撮影できないので、とっても、どうしても観光写真にしかなりません。ということでさらに南下すると、サンマリーナホテルがあって、ホテルの向かいがサンマリーナビーチになっています。


(ホテルの窓から女子高生でしょうか、手を振って「撮って〜」と言っています 遠慮なくパチリ)


(遊具がぽつんとさびしそうに…)


(海は何処までも青い 白砂にマッチ)


(ビーチの端では子供たちがビーチバレー)


(休憩所も閑散としている)


<琉球村>

かつての琉球王国時代の古い建物がここに移築され、保存されています。また藍染めや紅型の体験工房や陶芸工房もあります。アトラクションとして、「エイサー」も時間によっては見学することができます。また村内で流通する琉球小判があります。


(旧家の案内係りの女性 カメラを向けるとニコリとポーズを取ってくれました)


(お酒、泡盛販売の店員さん)


(こちらの旧家では、サーターアンダギーを作っていました)


(これからエイサーの始まり)


<残波岬>

国道58号線沿いの琉球村から一旦北上し、県道6号線に入って真栄田岬、残波岬方面に向かいます。読谷村の西側の突き出た景勝地で、高さ30mほどの崖が2?にわたって続きます。訪れたときは引き潮で崖から1?ほどの平らな岩地が広がっていました。


(海は後ろ側になります 引き潮で出来た水たまりには真っ黒なナマコがたくさんおりました)


(サンゴ礁の岩が削り取られていますが、大潮のときはこの辺りまで海面が上昇するのでしょうか)


<むら咲むら>

15世紀ごろの琉球王国の街並みを再現した施設で、陶器、ガラス、三線などの伝統工芸を体験できる工房があります。沖縄伝統の三線工房では、本格的な蛇革による三線から和紙や空き缶を使った簡易なものまで色とりどりです。家内が蛇革の三線を購入しましたが…数回使った後は、部屋の飾りになってしまいました。


(琉球村、残波岬、むら咲むらのマップ)


(奥は陶芸工房 赤いブーゲンビリアが…)


(港の方に降りていくと絶景が広がっている)


(真っ青な海に赤いボート 荒々しい岩肌)


<那覇市内・首里城>

最後はやはり那覇市内の国際通りにある牧志公設市場と首里城を取り上げます。


(2000年の九州沖縄サミットを記念して発行された2000円札 守礼の門で記念撮影しているところを割り込ませてもらいましたが、ピンボケ!)


(沖縄を代表するもう一つの花ハイビスカス)


(牧志公設市場内で島ラッキョウを売るおじさん)


(北海道の市場では見られない魚たち)

写真展開催のお知らせ

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このほど下記の要領にてフォートピア会員が、豊友会(会長太田照二氏)の写真展に賛助出品することとなりました。
豊友会会員9名とフォートピア会員6名(うち2人は豊友会会員と重複)の13名による写真展です。
各自A4または四つ切プリントで5点ずつ計65枚の出展となります。
期間・場所等については下記のとおりです。27(金曜)-29日(日曜)は小樽潮祭りの期間中でもあります。
開催場所の市民ギャラリーも、旧手宮線の横であり、潮祭り期間中は旧手宮線で「おたるガラス市」が開催されています。
是非写真展会場まで足をお運びいただきたくお願い申し上げます。

期間:平成24年7月25日(水曜)〜29日(日曜)
    午前10時〜午後5時まで、最終日29日は午後4時まで
場所:小樽市美術館市民ギャラリー1F
    小樽市色内1丁目9-5(旧手宮線横、旧日銀小樽支店向かい)
    TEL 0134-34-0035

出品者
   ☆豊友会会員    太田照二(会長フォートピア代表)  池谷昭三
               小林和子              小林孝子
               鹿戸芳之              長尾年彦
               松尾淑恵              吉川陽子
               横川宏子
   ☆フォートピア会員   貝沼正雄              紅露雅之
               嵯峨秋雄              成沢克朗

なお、私の出品作品は下の通りです。

(1)

題名「青色のとき」
たんぽぽの綿毛と水滴をレンズ逆付けによって超マクロ撮影
壁紙写真部「第1回彩フォトコンテスト」 金賞受賞

(2)

題名「夢の中へ」
H21年道写協札幌・小樽支部合同「滝野すずらん公園撮影会」  準特選受賞

(3)

題名「桜吹雪」
桜文化芸術応援団「あなたの桜色2011」フォトコンテスト  最高映像部門賞受賞

(4)

題名「影が伸びる」
学研『大人の科学』付録のトイカメラ+3色フィルターによる多重撮影
第22回ブログdeフォトコンテスト  準グランプリ受賞

(5)

題名「フィナーレ」
東京府中競馬場の花火大会
壁紙写真部「夏の思い出フォトコンテスト」  銅賞受賞

美国神社と古平恵比須神社の火渡りの儀式

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7月6日(金曜)に積丹町美国神社の火渡りの儀式を、また14日(土曜)には古平恵比須神社の火渡りの儀式を、写友3人で見てきました。この時期積丹町の美国と古平町の夏祭りで、相前後して火渡りの行事が行われます。美国は例年7月の5-6日に、古平町は7月第2週土・日曜日に行われます。古平町では、秋祭り(9月第2度・日曜日)にも火渡りが実施されます。

いずれも午後8時ころの開始予定ですが、6日の美国には午後3時前に小樽を出て、出来れば積丹の夕日も撮ろうという魂胆です。車で1時間ほどで美国に着きますが、さらに島武意、余別にまで足を延ばします。でも一向に晴れ間が出てきません。婦美で国道229号線を出て、道道913号線に入り積丹岬方面に向かいますが、天候が回復する兆しがありません。岬には立ち寄らず、入舸、日司を経由して野塚から美国に戻ります。まだ時間が早いので、観光船乗り場の干物を売っているオヤジさんを冷やかし行こうということになりました。


(子持ちカレイの半干、1パック3枚入り400円を3パック+スルメ1枚を1000円にまけさせて… 「商売にならんな〜」とオヤジさん)


(1) 美国観光遊覧船に乗る

丁度そこへ観光グラスボート船が戻ってきました。3人乗るなら行くよ、とのこと。乗船料一人1300円と言う。最後だから1000円にまけろと船長と交渉するも不調、1300円払いました。船員が、最後のお客だから、籠に入った飴玉をたんまり持って行けという。


(ムラサキウニがごっそり海底にへばりついている 沖縄と違いカラフルな魚はいない)


(海岸沿いを走る)


(海鵜とカモメが仲良く休んでいる)


(これが積丹ブルーですとアナウンスあり)


(用意されたパンくずを見せるとカモメが寄ってくる)


(漁港までカモメも併走)

40分ほどのクルーズでしたが、普段陸上からは見られない積丹ブルーの景色が見られたこと、カモメが船と並走してパンくずをついばむ場面を撮影できたことを考えれば、乗船料もまずまずでしょうか。さて時間はまだまだありますが、夕陽が出ていませんので、手持ち無沙汰です。夕食を撮ることにします。もちろん、地元の方々おすすめの「安富」でラーメンを食べました。1時間ほど写真談義をして、火渡りの会場である美国神社に向かいます。まずは天狗(猿田彦)の火渡りから始まります。


(2) 美国神社の火渡り

神社の境内は結構広くて、火は2か所で焚かれ、鳥居から入った天狗や神輿はこの2か所の火をくぐりますが、行きと帰り二往復、つまり4回くぐることになります。最初に神主と氏子がお祓い、塩まきをした後に、天狗(猿田彦)が渡ります。その後神輿が続きます。


(天狗のお面がねずみ色の毛でおおわれているため、正面の顔がどうしても暗くなってしまいます ストロボがあった方がよかったかな)


(お神輿の火渡りが始まりました)


(火は2か所で焚きあげられます 気合を込めて一気に二ヵ所を渡ります)


(炎で熱いのか、担ぎ手の顔がゆがみます)


(多くの担ぎ手は口と頭に手拭いをしていますが、なかにはしていない担ぎ手も…)


(神輿は3基、いずれも二往復します、最後はお宮入りです)


(3) 古平恵比須神社の火渡り

7月14日6時半頃小樽を出ましたが、天気はよかったものの地平線近くには厚い雲があって、夕焼けにはなりませんでした。午後8時の開始予定が、神輿が町内を練り歩くのに時間がかかっているためかなかなか始まりません。午後9時近くになってようやく神主や氏子代表のお祓いが済みました。まずは天狗(猿田彦)の火渡りから始まります。


(今回はストロボを持参しましたが、連写モードでは最初の1枚目にしかストロボ光は届きません 2枚目以降は充電が追い付かないので…)


(ストロボが上手く効きました)


(天狗の次は赤獅子と緑獅子のペアによる火渡りです)


(手前の氏子役員が行ったり来たり、ふらふらカメラの前を…仕方がないですね)


(火の中へ神輿が驀進)

写真展が始まりました

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かねてお知らせしていた写真展がいよいよ今日から始まりました。昨日24日、午後に展示作業を行い65点すべての展示が終わりました。写真展の詳細についてはすでに前々回のブログでお知らせしたとおりですが、今一度下記のとおりご案内いたします。お近くにお越しになった際にはぜひお立ち寄り、ご高覧いただければ幸いです。



期間:平成24年7月25日(水曜)〜29日(日曜)
    午前10時〜午後5時まで、最終日29日は午後4時まで
場所:小樽市美術館市民ギャラリー1F
    小樽市色内1丁目9-5(旧手宮線横、旧日銀小樽支店向かい)
    TEL 0134-34-0035

出品者
   ☆豊友会会員    太田照二(会長フォートピア代表)  池谷昭三
               小林和子              小林孝子
               長尾年彦              鹿戸芳之・HPブログ「yotutiの写真日記
               松尾淑恵              吉川陽子
               横川宏子
   ☆フォートピア会員   貝沼正雄              紅露雅之・HPブログ「紅露の写真日誌
               成沢克朗              嵯峨秋雄・HPブログ「嵯峨秋雄 北の風景


以下、24日の展示作業風景並びにフォートピア会員の賛助出品作品の一部をご紹介いたします。


☆ 太田照二(豊友会会長・フォートピア代表)


(題名:ヨサコイ絶好調)

☆ 鹿戸芳之(兼豊友会)


(題名:楽しいお面)

☆ 貝沼正雄


(題名:黒ダイヤ夢の跡)

☆ 嵯峨秋雄


(題名:火渡り祭り 読売風景写真コンテスト入選作品)

☆ 成沢克朗


(題名:YOSAKOIソーラン3)

☆ 紅露雅之


(前回ブログで紹介済み)

☆ 会場風景


(CASIOのコンデジで、カメラをパーンするだけで、カメラが勝手にパノラマ合成します、こりゃぁ〜便利だわ…)

日本最北端の地を目指して〜その2

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ツアー初日の最大の目標であった、サロマ湖の夕日撮影は出来ませんでしたが、2日目こそノシャップ岬で夕陽を撮ると意気込んで午前5時にホテルを出ました。今日の日程は国道238号線のいわゆるオホーツク流氷街道を、最北端の地、宗谷岬に向けて北上することです。この間には「ワッカ原生花園」「オムサロ原生花園」「べニア原生花園」「猿払原野」と言った湿地野生動植物の宝庫を通ることになります。

網走市内を抜けて、国道238号線を北上すると、右手に能取湖が見えてきます。昨日も午後ここを抜けて常呂町栄浦のワッカ原生花園にまで足を延ばしました。今朝は濃い霧がかかっていて、湖も見えません。天気予報では晴れマークが出ていましたので、日が上がれば霧もやむものと思います。


(国道も御覧の通り霧の中)


(卯原内付近の湖畔にはサギが羽を休めていた 湖面にごみ?が目立ったので思いっきりオーバー目にしてみました)


(日が上がってくると畑の一部に日が差しこんできた)


(やがて霧は消えて視界がよくなってきました)

なお、能取湖と言うと、サンゴ草が有名ですが、サンゴ草が赤くなるのは秋口で、今の時期は緑色のままです。上記2番目の画像の卯原内もサンゴ草が有名です。サンゴ草は正式名を厚岸草と言って、もともとは釧路管内の厚岸で見られましたが今は能取湖が有名になってしまいました。車は常呂町に入りましたが、ワッカ原生花園は1日目の撮影しておりますので通過します。なお、常呂町(北見市と合併)は、先の2002年バンクーバー冬季オリンピックで一躍有名になった女子カーリング選手を輩出している町でもあります。

さらにサロマ湖畔に沿って走ります。佐呂間別川にかかる、佐呂間大橋(この辺りは佐呂間町浜佐呂間)の手前で川の向うに赤い屋根の倉庫でしょうか工場でしょうか、絵になる風景が見えます。


(赤い屋根の建物が目立ちます 午前7時少し前、今頃には靄は撮れて日が照ってきました)


(川に沿ってサロマ湖畔出てみたくなります)

佐呂間大橋のたもとの道路標識には、川に沿って右手は、キムアネップ岬とあります。キャンプ場があるようです。時間もありますので行ってみることにします。周辺の川や湖にはサギをはじめ野鳥がたくさんいるようです。


(残念ながら手持ちのレンズ・18-270?では野鳥を撮るには不向きのようです)

野鳥の宝庫でもあるキムアネップでの撮影は早々に切り上げて、国道238号線を北上します。チューリップで有名な湧別町(H21年上湧別町と湧別町が合併)を経て、流氷観光で有名な紋別市に向かいます。紋別市内を抜けると、右手の「オムサロ原生花園」が見えてきました。ネイチャーセンターに寄りますが、時間がまだ午前9前で開館しておりません。遊歩道に沿って撮影していきます。


(ヒオウギアヤメの群落があちこちにあります)


(雑草も青々としていて、まさに新緑の季節です)


(シシウドも咲き始めたばかり)


(国道の反対側には廃船が2隻保存?されています 打ち捨てられているわけではなく、原生花園のオブジェの一つとなって自然と共存しているのです)

この廃船の横小道から「オムサロ遺跡公園」に出ますが、今回はパスして、80?ほど先の枝幸町に向かいます。なお道内には同じ地名や似通った名前の地名が多々あります。エサシ町も二つあって、道南の江差町は民謡「江差追分」で有名。方や枝幸町は、一昨年のYOSAKOIソーラン大賞を受賞した「夢想漣(ユメソウラン)えさし」チームの町です。もうひとつ例を挙げておきます。これから訪れる「ノシャップ岬」は稚内市にあって、「ノサップ岬」は日本最東端の根室市にあります。枝幸町からはいよいよ最北端の宗谷管内(旧宗谷支庁)になります。まずは枝幸港に寄ってみます。ホタテ漁の最盛期です。


(漁船から大型トラックにホタテを積み替えています)


(船首に積み込まれた、刃先の付いた網で海底をなぞってかき集めるのだそうです)


(網を広げたところ 下の方に刃先が見える)

町内から2kmも進まないうちに、ウスタベイ千畳岩が見えてきました。エゾカンゾウが一面に咲いていて青い海とのコントラストが綺麗です。ウスタイベ岬の先端にあって、安山岩がブロック状に並んでおり、畳千枚分の広さがあるといわれています。付近にはキャンプ場もあって我々が訪れたときも大きなキャンピングカーが数台駐車していました。


(初めて訪れた名所でした エゾカンゾウ、ヒオウギアヤメが咲き乱れていました) 


(荒々しい波と岩 黄色いエゾカンゾウがとても可愛く見えます)


(日陰をバックにすると、エゾカンゾウがより浮き立って見えます)


(岩の間を押し寄せる波を見ていると、海藻類がアーティスティックに見えてきます)

車はさらに北上し、浜頓別に入ります。ここには有名なベニヤ原生花園があります。北海道を代表する三大原生花園(他は小清水原生花園、サロベツ原生花園)の一つで、観光シーズンには大型観光バスが入り込みます。野鳥の宝庫で、我々が訪れたときも、超望遠レンズを抱え、迷彩服を着こんだカメラマンがたくさん来ておりました。


(やっと野鳥の撮影に成功 さてなんという鳥かな〜 ノビタキかもしれません)


(遠くには風力発電の風車が見えます)


(CASIO EXILIM Z3000でパノラマ撮影 ゆっくりカメラを回転すると、カメラ本体でパノラマに合成してくれる この画像はおよそ180度ほど)

なお花はほかの原生花園と変わらないので画像アップは省略いたします。ただ緯度が高いためか、シシウド等を見ていると、花のピークは遅くなってきているように感じました。ベニヤ原生花園を後にしてさらに北上し、宗谷岬に向かいますが、標識の見誤りから、本来海岸線の国道238号線を進むべきところを内陸に入ってしまっ多様です。途中で気がつき、道道を宗谷岬に向かって進みます。岬が近づくに従い、いわゆる宗谷丘陵と言う独特の地形が現れます。と同時に無数の風力発電用風車が見えてきました。


(宗谷丘陵と風力発電の風車 宗谷丘陵は2万年前の氷河が移動した跡と言われ、北海道遺産に指定されています)


(岬の方に降りると、日本最北端の灯台と展望台があります さらに海の彼方を見ると40?ほど先にサハリンが見えます)


(CASIOコンデジによるパノラマ撮影、画角200度ほど)

海岸段丘を降りて、車は2日目の最終撮影地であるノシャップ岬へと向かいます。以下その3に続きます。

夜の小樽運河クルーズを楽しむ

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7月の下旬に夜の小樽運河クルーズを楽しんできました。日中見る運河とは趣が異なります。一昨年から小樽運河をクルーズ船が運航していることは知っておりましたが、乗船するのは初めてです。しかもいきなりナイトクルーズ、40分間の夜の小樽運河を満喫してきました。運河クルーズ船は10月31日まで運行しております。乗船中は、ガイドによる運河の歴史や、周辺の倉庫や建築物の解説もあります。長年小樽に住んでいて、運河周辺の歴史については詳しい方だと思っておりましたが、今回の体験で新しい事実もいくつかわかりました。今回乗船中に撮影した写真と過去に撮影した写真とを合わせて、紹介したいと思います。


(浅草橋の観光案内所でチケットが売られています、デイクルーズは1200円、ナイトクルーズは1500円になります、所要時間40分)

今回乗船したのは午後8時出発の便です。この午後8時の便は7月と8月のみの運航です。船は定員20人乗りの小型船です。まず救命具の取扱説明があり、すぐ浅草橋を出発して中央橋に向かいます。日銀通りからまっすぐ降りた「浅草橋」と小樽駅から下がった「中央橋」をつなぐ運河散策路が、運河観光の中心です。なお、「中央橋」の由来は。現小樽駅が、かつては小樽中央駅と呼ばれていたためです。その当時の小樽駅は、現在の南小樽駅にあったのです。


(薄暮の小樽運河)


(船は浅草橋を出て、中央橋に向かいます 右側には倉庫を改造したレストランが、左手側には国道を挟んでホテルやお土産品店、レストランが立ち並びます)


(地ビールレストラン小樽倉庫No.1の前を通る ISO感度を上げてもシャッタースピードが遅く画面が流れる)

中央橋をくぐると前方に北海製缶の工場群がありますが、その手前の水路を通り、臨港線に架かる月見橋をくぐって小樽港にいったん出ます。案内によれば、小樽港は珍しく港内に漁業権がある港のことです。早朝漁をする漁船が見られますとのことでした。再び臨港線に架かる旭橋の下をくぐり北運河に入ります。なお、竜宮橋を境に札幌寄りの運河を南運河(通常南をつけずに単に運河という)、手宮よりを北運河と呼んでいます。


(北海製缶の工場前を進みます)


(北運河の突き当りでクルーズ船はターンします 青信号のところにある倉庫が大家倉庫、形が一風変わっています)


(北運河の手宮よりの北運河公園近くには「運河の歴史」を記した標識があります この画像は別の日に撮影しています)

標識にも書かれている通り、この小樽運河は、通常の掘削による運河ではなく、埋め立て方式による珍しい運河です。元々運河のふちは砂や石の海岸でしたが、これを土砂で埋め立てて、さらに40mほど沖に土砂を埋め立てて水路を作ったものなのです。大正12年にこの運河は作られましたが、その後の海運等発展により埠頭・岸壁が作られ、大型船が着岸出来るようになると、艀の需要が減少し、運河は邪魔ものになって行きます。昭和40年代から運河論争約10年以上も続くことになるのです。この辺の事情については2009.4.10付け当ブログ「ちょっとレトロな話〜小樽運河今昔」を参照してください。

さてUターンしたクルーズ船は浅草橋方面へと戻ります。運河をまたぐ4つの橋の最も手宮よりの北浜橋をくぐります。この橋は不思議なことに、山の手側から入ると、海側に出ることができません。海側は北海製缶私有地で、工場の壁になっているからなんです。なぜここに橋が出来たのか不思議です。さて北浜橋をくぐると、海側(左側)は北海製缶の工場が二つ見えます。夜間は操業しておりませんので大きな煙突のある工場は、暗闇の中ですが、4階建ての階段の見える工場はライトアップされています。そして各フロアーには何やら黒い人影が見えます。


(普段はライトアップされていないはずが…)


(さらに近づくと、各フロアーに黒い人物らしき人影が…)

この黒い人影は、NPO法人小樽ワークスが仕掛けた「小樽アートプロジェクト2012」の一環なんだそうです。翌日会場近くでプロジェクトの責任者に聞いたところ、歴史的建造物を再認識し、小樽の魅力を広く発信する企画という事でした。なおこのプロジェクトの期間は、7月21日から29日までだそうです。さてここで日中の北海製缶の工場を見ておきます。


(撮影はH23年7月で、HDR加工してあります 大きな煙突がトレードマークです)


(3年ほど前の8月の夕方撮影した画像です この建物は、運河が完成した翌年の大正13年建築で、当時鉄筋は軍事物質で使えず、竹を組んでセメントで固めたそうです 大きな地震でも一向に崩れません)

さて再びクルーズ船に戻ります。竜宮橋をくぐると2F建ての大きな倉庫が目に入ってきます。小樽の歴史的建築物の一つ、大家倉庫です。石川県出身の海産商大家七平氏が建築した倉庫で、一見2Fのように見えますが、なかは吹き抜けになっていて2Fの窓も鉄板で閉鎖され開閉できません。建築には極めて高度な技術が必要とされました。なぜそのように資金のかかる面倒な倉庫を建てたのでしょうか、一説には同業者との見栄の張り合いとも言われています。


(カメラを船の側面に出して撮ってみました)


(小樽倉庫No.1前を通って浅草橋に戻ります)

浅草橋の向かいには、旧山下汽船が入っていたビル(旧通信電設浜ビル昭和10年建設)が見えます。現在は中華料理店「好・ハオ」となっていますが、このビルの3Fに石原裕次郎の父親が支店長として勤務しておりました。裕次郎は昭和12年3歳の時に来樽し、小樽市稲穂小学校に通い、昭和18年9歳の時に父の転勤とともに、神奈川県の逗子市に転居しました。そして、今年の4月25日にこのビルの隣に石原プロの「おもしろ撮影館」がオープンしたのです。

約40分間の小樽運河クルーズは以上で終わりですが、運河の歴史、周辺倉庫群の説明等もあって、とても有意義な時間が持てました。機会があればぜひ体験してみてください。なお、最後に旧小樽運河の写真を二枚載せておきます。10年続いた運河論争に決着がついて、昭和57年に埋め立て(南運河幅40mの半分)が開始される前の55年に私自身が中央橋から撮影したカットです。


(中央橋から北運河方面を望む 左手の3番目の大きな2F建て倉庫が大家倉庫)


(中央橋から南運河を望む 中央にある丘は水天宮、その手前に見える4F建てビルに山下汽船小樽支店が入居していた)

日本最北端の地を目指して〜その3

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2日目の午後5時前に稚内市内に着き、そのままノシャップ岬に向かいました。日没までのまだ2時間半もあります。空には雲がほとんどなく、初夏の太陽が気持ちいいように降り注いでいます。ノシャップ岬のモニュメントのあ広場には次から次とレンタカーで観光客が来ます。鹿児島から来たと言うカップルに、シャッターを押してあげたついでに、モデルとなってもらいシルエットで数枚撮らせていただきました。


(まだ日が高く、写真としては今一つ物足りない…)


(この灯台は高さ42.7mあって、全国の灯台の中で2番目に高いという 海面に反射しているわけでなく、磨かれた御影石に映っているのです)

さて夕陽をどうとるか、利尻富士を入れるのは、位置的に幾分無理があります。また靄が強くてすっきりしていません。何か手前に入れる添景を探しますが、なかなか見つかりません。写友は防波堤を白灯台方面に歩いてゆきますが、どうも今一つらしく、車で海岸沿いを少し走ることにします。岬から10?ほどの抜海港まで足を延ばしますが、消波ブロックがあって夕陽の絵になりません。日没までまだ1時間半ほどありますが、まったく雲の無い夕陽は撮りにくいということで、撮影を切り上げてホテルへ戻ることにしました。


(道端で見かけた交通安全の「無事カエル」の人形たち)

3日目の朝も午前5時週発です。朝日は時折顔を出しますが分厚い雲が邪魔をしています。利尻島は全く見えません。海岸沿いの稚咲内を通って戻る予定にしますが、いくら走っても海に出ません。どうやらナビの入力をミスったようです。豊富にまで来てしまい、稚咲内沿いのサロベツ原野をとうに過ぎてしまったようで。天塩町の手前で海に出る道に進路を切り替えます。すでにサロベツ原野を過ぎたものの、道道106号線(通称日本海オロロンライン)の両側ともに、ハマナス、エゾカンゾウ、シシウド等の花が見渡す限り咲き誇っています。


(道路の両側ともにこのような状況)


(風力発電の風車がどこまでも続く)


(画面奥のジャンボつぼみは何かなと思っていたら、ひときわ大きなシシウドでした)

車はさらに南下して天塩町手前の天塩川にかかります。この川の河口付近で、夕焼けに浮かんだ利尻島が川面に映り込んだ写真がよく撮られています。しかしまだ午前7時半になっていません。街中を走ってみますが、犬の参歩をする人、ジョギングする人がちらほら見えるだけです。ここで車は、道道から国道232号線となります。海岸沿いに沿って南下し、遠別町の金浦原生花園に立ち寄ります。


(1周420mほどの小さな原生花園 エゾカンゾウ、ワタスゲなどが満開 野鳥も多いようで超望遠レンズを構えたカメラマンがおりました)


(白いひげがそよ風に吹かれ、ふわふわと…)

30分ほどで撮影を切り上げ、再び南下。羽幌町に入ります。羽幌町は、天売・焼尻等へのフェリーの発着所のある街です。「道の駅〜ほっと・はぼろ」で一息つきます。ここの道の駅は、羽幌温泉・ホテルサンセットプラザ内にあり、バラ園も併設されています。早速バラ園で撮影です。バラの仲間であるハマナスも見られます。


(青空をバックに…)


(品種名を書いた札がありましたが…)

羽幌は、かつて炭鉱の町でもありました。滅多に来ることのない町。せっかくですから旧炭鉱施設を撮影するチャンです。道の駅で炭鉱関連の施設がないか確認しますが、何分古いこと、案内所の若い方は首をかしげるだけです。町内の博物館を紹介されましたが、開館時間前で、撮影をあきらめました。更に国道を南下、苫前町の小さな漁港で、防波堤に絵が描かれています。近寄ると、タグボートが、クレーン船を曳航している最中です。


(最近は防波堤に絵が描かれているのをときどき見かけます 後志の泊か神恵内の漁港にもあったような…)


(タグボートが港内で大きくターン)


(岸壁の作業小屋ではホタテ漁の網の補修中 お嬢さん!と声をかけると「何年ぶりだ、そう呼ばれるの…」と笑顔の返事)

苫前町の力昼(リキビル)漁港を後にして、午前11時ころ増毛町に到着です。この街には地酒「国稀」酒造があります。酒好きの写友が買っていきたいということで、工場見学です。大型観光バスもやってきました。


(シャケの干物が天井から下げられ、旧民家を改造したようです)

通路の壁には高倉健主演の映画「駅」の写真が張られています。映画のロケ地は、ここ増毛と陸の孤島と言われた雄冬でした。冬の増毛駅で、雪降る中離婚した妻(石田あゆみ)が、警察官の夫(高倉健)に敬礼しながら列車が遠ざかるシーンが思い出されます。


(見ていると、映画が思い出されます)

増毛町と次の浜益村の間には断崖絶壁の続く雄冬峠があります。かつては札幌側からの道路がなく、ここの集落の人々は、1日1便の増毛〜雄冬のフェリー(漁船)に頼るしかなく、しかも冬の吹雪には欠航するという、「陸の孤島」でした。1981年にやっと浜益〜増毛間に国道が開通しました。ここ雄冬には国道沿いに、白銀の滝があります。


(この辺りには柱状節理が多く見られます)


(滝をクローズアップすると…)


(コンデジでパノラマ撮影 画角180度 右端の撮影中の写友が見える 道路補修工事中で、下がって撮影ができない)

以上で3日目の撮影はすべて終了です。丁度お昼で、浜益村のドライブインで昼食を取り小樽に戻りました。午後2時の帰宅でした。
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