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Channel: 紅露の写真日誌…北の大地・夢空間
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我流欧州見聞録(3)…イタリア・ローマへ

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                        <コロッセオの建物内の鉄材は、第2次世界大戦で抜かれたため、穴だらけ…>

 

3か国目は、イタリアのローマです。平成5年11月10日(木)午後1時過ぎのアリタリア機で、デュッセルドルフから、ローマのレオナルドダビンチ空港に向かいます。約2時間ほどで到着ですが、到着ロビーに出てびっくり。イタリアは治安が良くないとは聞いていたものの、シェパードをつれた軍服風ウェアの警官が、マシンガンを抱えてパトロールしている。珍しいので、見つめていると、マシンガンを突き出して、どうだと言わんばかり、けらけら笑う。どこまでも陽気なお国柄が出ている。

外は久しぶりの快晴で、郊外は緑が多くとても気持ちがいい。しかし市の中心部に向かうにつれ、古く歴史を感じさせる建物が多くなってくる。加えて車道の両側には数多くの車が駐車しており、交通の流れは決してスムーズではない。

 


空港からローマ中心部(centro)に向かう。流れはスムーズだが、中心部に近づくにつれ渋滞がひどくなる。

 


ローマ中心部を流れる、テベレ川。

 


観光名所の近くには、必ず路上での物売りがいて「安いよ、安いよ、1000円!」と日本語で声をかけてくる。パトカーがくると、いち早く、商品を畳み込み、担いで逃げていく。警官が去ると再び商売を始める。
向かい側の建物のそばには、中年の女性が赤ん坊を抱きながら「恵んでくれ(と言ってるように聞こえた)」と泣き叫んでいるし、4-5人の若い女性が、一人赤ん坊を抱きながら、キョロ、キョロ。周囲の気をひいているすきに、バッグをひったくる算段らしい。油断もすきもあったもんじゃない。

 


ツアー出発前のひと時。イタリア語の新聞を読んでいるふりをしています。

 


ホテルのベランダから、駐車場を見ると、黄色い車がたくさん駐車しています。タクシーが客待ち中なのですが…ワゴンタイプのタクシーが多いのにびっくり。現在は日本でもワゴンタイプのタクシーが多くなってますが、平成の初めころは、タクシーと言えば、セダン型だったので、とても珍しく感じました。
なお、イタリアは他のEC諸国と違って、車検制度があって、初回10年、その後5年ごととか…。タクシーは、8割方がフィアットで、黄色一色でしたが、最近は規則が変わり、白も認められているという。

 


夜はカンツォーネ演奏の飲食店へ。お客全員が日本人なのにはびっくり。舞台後方の写真は、ナポリの「青の洞窟」ですが、店内がうすぐ暗く、フィルム撮影なので、思ったような色が出ていません。

 


コロッセオの内部はご覧の通り。ローマ時代には、剣闘士と猛獣を戦わせ、それを見て支配階級層が楽しんだとか…。

 


ドイツ人観光客らしい、言葉でわかりました。

 


バチカン市国のサンピエトロ広場 ベルニーニの設計で、30万人の信者を収容できるといいます。バチカンは一つの国ですが、イタリアとの間には国境らしきものは何もなく、出入り自由。

 

 


広場の或る1点に立つと、奥の円柱がすべて重なって、一本に見えるといいます。写真右下に見える円形のところ。それにしても屋上の人物像、1点として同じものがないと言います。

 


この奥はローマ法王(現在は教皇)の居住地。衛兵が槍を構えて、立っております。服装がとても個性的です。ミケランジェロの考案。

 


バチカンの中心的建物「サンピエトロ寺院」は、ルネッサンスの巨匠ミケランジェロが設計し、数百年かけて1626年に完成。奥行き185m、高さが135mと言われています。

 


トレビの泉に入る小路手前に並ぶ、野菜果物の市場。この市場を抜けて進むと…

 


トレビの泉 後ろ向きにコインを投げ入れると、再びここに来られるとか…

 


よくもまあ、このような彫像が、あちこちに数限りなく作られたものだと感心するばかり。

 


ベネチア広場 ローマ市内なのに、ベネチア?と思われるかもしれませんが、ベネチア国の大使館がかつてここにあり、後にその建物はベネチア宮殿と呼ばれます。その周辺には、ベネチアンガラスを扱う店が多く建ち並んでいます。

 


有名なスペイン広場です。この近くにスペイン大使館があったことから、そう呼ばれています。映画「ローマの休日」で、オードリーヘップバーンが、ジェラートを食べたところとしても有名ですね。2014年には環境保護のため、物販販売、飲食禁止になりました。

 


フォロ・ロマーノ(ローマ時代の政治・宗教の中心部)は、どこを掘ってもローマ時代の遺跡が出てくる。

 


現在も発掘調査が行われているものの、何層にも重なっているために、調査は容易ではないという。ほかの都市と違って、地下は遺跡だらけ。したがって地下鉄が作れないし、建物も作れないという。

 

それにしても、イタリアという国はなんという国であろうか、バイクが逆車線を走ってくるし、パトカーも警告灯やサイレンを鳴らさずに、逆車線を走ってくるのだ。こういった現象は、ローマに限らず、次回紹介予定のスペインのマドリードでもよく見かけた。
ヨーロッパの国々の道路は、もともと戦車(騎兵が馬車)で走るために作られた道路であることを考えれば…、事故が起きた場合には歩行者に責任があるとか。日本では考えられないことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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