我流欧州見聞録も、最終回となりました。スイスとフランスについてレポートします。4番目の訪問国スペインから5番目の訪問国スイスのジュネーブに飛びます。レマン湖のほとりにあるジュネーブは美しい都ですが、ここに国際連合の諸機関が集中しております。研修ではそのうちの一つの機関を見学に行きましたが、途中ジュネーブ大学の構内を通り、宗教改革で有名なカルビン(カルバンともいう)やルター達の像の前を抜けてゆきました。
ジュネーブ大学の構内の中を抜けていきます。授業中なのか誰も見かけませんでした。
レマン湖のほとり、街路樹もすっかり葉が落ちて晩秋の気配がしていました。
上の道路一本はさんで、向かい側の広場(庭園か?)にイチョウの木から落ちた落ち葉が、とても綺麗でした。柵のない広場を入り写真を撮っていると、住宅から出てきたご婦人が何か叫んでいます。慌てて、退去しました。どうやら個人の住宅だったようです。
なお、スイスはいくつかの州の連合国家で、公用語が、ドイツ語、フランス語、イタリア語と3カ国語(ほかにローカル言語のロマンシュ語も公用語)が使われています。永世中立国として有名です。なお、スイスはEU連合に加盟しておりません。ですが、他の国々との移動も割と自由にできます。日常でも勤務先が外国である隣町であったりするのが当たり前となっています。スイスはEUの国々に囲まれてはいますが、通貨はスイス・フランを使っています。
駐車場の車の、バックプレートです。EU諸国は統一した横長のNo.プレートを用いています。このフィアットにも取付用の小穴が見えます。またスイスのナンバープレートには、国旗のマーク(赤地に白十字)と州のマークが用いられています。GEはジュネーブ州のことです。その横のマークは、州旗になります。
ボディ横のローマ字に注目してください。CHとあります。これはスイスを表しています。スイス連邦国のラテン語の国名「コンフィラディチオ・ヘルベチァ」の略です。なおイギリスは、連合王国のUK、スペインがE(エスパニョール)、ドイツはD、フランスはFを用いています。ナンバープレートの横にこれらの文字がシール付されています。日本でも、EUから中古を仕入れたときに、時々横長のナンバープレートを見ることがあります。そこにある頭文字から元の国名がわかります。
さて街中を走っていると、時々目にするのがこのマークです。赤い地に、黒いクマが、かぎ型の串に刺した鳥に火を吹いている図なんです。このクマが5本足の図もありました。看板の文字が読めれば、おおよそ何の宣伝なのか理解できるのですが…いまだにわかりません。
ガソリンスタンドかなとも思ったのですが、火を吹いていることから、ガソリンスタンドではないですね。
しばしフランス国内に入って、シャモニーに向かいます。
シャモニー海抜1300m、ここからロープウェー3800mの展望台に向かいます。
モンブラン(標高4807m)の一つであるエギュイユ・デュ・ミディの展望台の一つ(標高3800m)に着きました。外に出ると、猛吹雪、マイナス25度、何も見えない。ぶるぶる震えながら、室内でコーヒーを飲みました。左上に「No pik-nik」とあります。
さて翌日は大型商業施設の見学です。
クリスマスが近いせいか、関連飾り物が多いようです。
じっくりとレジを見ていると、日本との違いがはっきり分かります。お客はカート内の商品をベルトコンベアに載せます。レジ係が1個づつレジを打ちます、打ち終わった商品は後ろのコンベアに移動し、そこでお客が自分で袋詰めをします。レジ係は、日本と違って自分の領域以外の手助けはしません。EU諸国に比べてスイスの物価は平均して高いように感じました。
ホテルはジュネーブ・コルナバン駅近くで、夜間でも結構な交通量でした。ホテルの窓際から、コンパクトカメラがぶれないように撮ってみました。
何処が駅なのかわかりません。
夕食で出かけたときに見かけた光景。
翌日は研修やすみの日で自由時間がありました。同室の同僚と、買い物に出かけることにしました。スイスと言えば、時計の世界一の生産国です。駅の近くの通りはどこも時計屋さんばかり。ショーウインドーには高級品から普及品までたくさんの時計が並んでいます。日本円で2000円前後のスォッチを多く見かけました。当時(平成5年11月)は日本ではスォッチはまだ流行しておりませんでした。
事前に、日本の輸入時計の安売りチラシを持参して価格比較をしておりました。家内からお土産にグッチの時計(イタリア製)を、注文されていましたので、代表的な三色マークの時計に注目していました。ローマのグッチの店で見たときは、日本の価格のほうが、なんと安いではありませんか。スイスでも同様日本の方が安い。そこで、別の時計を見せてもらい購入しました。グッチのバッグと合わせ数十万円、家内にはこれで一生分のお土産が出来たな、とほくそえんでました。
翌日は早朝、コルナバン駅から、フランスの新幹線TGVでパリのリヨン駅に向かいます。出発前にツアーガイドから忠告がありました。乗車券のダブルブッキング(二重販売)は日常茶飯事、座席に着席したら、ほかの客が「そこは私の席だ」と言って来ても席を外ないように、とのこと。トラブルは車掌に任せるようにとの指示です。幸いトラブルは発生しませんでしたが、ダブルブッキングが日常茶飯事とは驚きでした。
アルプスの麓を走る。
数時間後には、パリの四つある終着駅の一つリヨン駅に到着です。ここリヨン駅は、TGVの発着駅になっていて、一つはスイスのジュネーブ、ローザンヌ、チューリッヒ方面に向かいます。もう一つは、イタリアのミラノ方面に向かいます。駅前広場に出ると色んな広告・看板が目に飛び込んできました。なんの看板かわかりませんが…、選挙の看板らしいということでした。
TGVの終着駅リヨン駅構内
地図を指さしていますが、単なるポーズです。
リヨン駅30分ほど待ちましたが、あいにく次の研修先と時間が折り合わず、急遽余った時間を利用してから貸し切りバスに乗って、ベルサイユ宮殿見学です。歴史ある宮殿ですが、宮殿前に広がる庭園等の作りが近代的過ぎて、まるでクラシックな感じがしませんでした。宮殿の中も確かに豪華ですが…
1682年ルイ14世が立てたと言われていますが…、金と権力に物を言わせて作った超豪華な作りですが、見学していてもさっぱり生活環、歴史観が感じられませんでした。
建物の入り口そばには、中学生くらいの子供たちが、4人ほどたむろ。子供がタバコをふかして…よく見ると、お菓子ポリポリでした。ああやはり子供だと、一安心。
宮殿入り口そばでトイレに入ろうとしたところ、受付?テーブルに座っていた女の子が「有料です、25サンチームです」と言う。当時1フラン約20円、その4分の1ですから5円ほどでしょうか。1フラン出すと、50サンチームのコイン1個を釣銭として渡されました。どうも計算が不得手なのか、何事にもこだわらないのか、つり銭もいい加減です。高額な場合でも、結構数え違いがあります。多く戻ってくる分には文句は言えませんが…
街中で見かけた有名な看板です。ロンドンのアビーロードで撮影されたビートルズ4人が横断歩道を渡る画像は、レコードのジャケットになりました。
単なる町並み?ま、それはそうですが、超有名なところなんですが…、オプショナルツアーもありましたが私は行きませんでした。
「皆で渡れば怖くない」をまさに地で行く光景にびっくりしました。歩行者用道路も信号もあるものの、無視、左を見て車が来なければ、中間ラインまでわたります、右を見て再度わたります。
もともとヨーロッパの道路は、車優先のように思えます。古くローマ時代に主要幹線道路網がローマ帝国内に張り巡らされました。これは戦争のための道路で、いわゆる戦車などの攻撃用の馬車や、資材を運ぶ馬車用に作られた道路です。かつての考え方が残っているせいなのか、横断歩道に通行人がいても車が強引に入ってきます。
もう一つ日本と違うのは、車に対する考え方です。ヨーロッパでは、車は単なる交通、移動手段ですが、日本ではときと入してステータスを表すものとなります。ドイツの高速道路では、BMVやベンツと言った高級車が、ヘッドランプが壊れたまま、あるいはルーフに取りの糞が付いたまま走っている事が数多くみられました。コンコルド広場では、観光バスに乗っていると、周囲からドスン、ドスン、と言う大きな音が何度も聞こえます。縦列駐車した、フィアットが、前後に車をぶつけてスペースを広くして、悠々と抜け出していきました。バンパーは、スペースを広げるための衝撃吸収用なんだそうです。
パリでは研修日程が少なく、自由時間がたっぷりありました。郊外へ買い物にでもと思い、地下鉄のチケット売り場が…さてと迷っていると、中年以上の大人には英語が全く通じません。困っていると、近くの学生が英語で話しかけてきて、売り場まで案内してくれました。10枚つづりのカルネと言う切符を購入して電車に乗り込みます。ここで思わぬアクシデント。同僚のO氏が、ポケットから切符を投入、競馬のゲートのような扉が「ガシャン」と閉じてしまいました。
O氏扉に挟まれて身動きできず、ああ、このままお陀仏かと思った瞬間、再度扉が開きました。後続の乗客が、切符を投入したからです。O氏は使用済みの切符を投入したから、閉じたのです。パリの地下鉄は、下車の際に、切符を投入する必要がないんです。扉の下のマットに足を乗せると、出口用の扉が自動で開くからなんです。そのために、ゲートを入ると、切符を捨ててしまう乗客が多いのです。見ていると、切符を買わずに、大股でゲートを超えていく人や、出口から長い足を突っ込んで床を踏んで出口の扉を開けて入っていく、無賃乗車が多いのにはびっくりしました。
扉の開閉は自動ではありません。閉まる時は自動ですが、開けるときは手動です。
パッシー通りで降りてみました。
近くにはモンパルナスがあるらしい。
途中で喫茶店に入りました。入り口のメニューを見るとミックスサンドの文字が読めました。それとコーラーを注文。店のオヤジさんが、長いフランスパンを切り始めました。まさかあれじゃないよねと言っていると、画像のように、フランスパンにハムとチーズを挟んだものが出てきました。
所変われば品代わるとは、まさにこのこと。入れ歯のO氏は固いものが食べられず、私が全部いただきました。
まだまだご紹介したい文化の違いがありますが、長文になりますのでこれで最終回といたします。
ジュネーブ大学の構内の中を抜けていきます。授業中なのか誰も見かけませんでした。
レマン湖のほとり、街路樹もすっかり葉が落ちて晩秋の気配がしていました。
上の道路一本はさんで、向かい側の広場(庭園か?)にイチョウの木から落ちた落ち葉が、とても綺麗でした。柵のない広場を入り写真を撮っていると、住宅から出てきたご婦人が何か叫んでいます。慌てて、退去しました。どうやら個人の住宅だったようです。
なお、スイスはいくつかの州の連合国家で、公用語が、ドイツ語、フランス語、イタリア語と3カ国語(ほかにローカル言語のロマンシュ語も公用語)が使われています。永世中立国として有名です。なお、スイスはEU連合に加盟しておりません。ですが、他の国々との移動も割と自由にできます。日常でも勤務先が外国である隣町であったりするのが当たり前となっています。スイスはEUの国々に囲まれてはいますが、通貨はスイス・フランを使っています。
駐車場の車の、バックプレートです。EU諸国は統一した横長のNo.プレートを用いています。このフィアットにも取付用の小穴が見えます。またスイスのナンバープレートには、国旗のマーク(赤地に白十字)と州のマークが用いられています。GEはジュネーブ州のことです。その横のマークは、州旗になります。
ボディ横のローマ字に注目してください。CHとあります。これはスイスを表しています。スイス連邦国のラテン語の国名「コンフィラディチオ・ヘルベチァ」の略です。なおイギリスは、連合王国のUK、スペインがE(エスパニョール)、ドイツはD、フランスはFを用いています。ナンバープレートの横にこれらの文字がシール付されています。日本でも、EUから中古を仕入れたときに、時々横長のナンバープレートを見ることがあります。そこにある頭文字から元の国名がわかります。
さて街中を走っていると、時々目にするのがこのマークです。赤い地に、黒いクマが、かぎ型の串に刺した鳥に火を吹いている図なんです。このクマが5本足の図もありました。看板の文字が読めれば、おおよそ何の宣伝なのか理解できるのですが…いまだにわかりません。
ガソリンスタンドかなとも思ったのですが、火を吹いていることから、ガソリンスタンドではないですね。
しばしフランス国内に入って、シャモニーに向かいます。
シャモニー海抜1300m、ここからロープウェー3800mの展望台に向かいます。
モンブラン(標高4807m)の一つであるエギュイユ・デュ・ミディの展望台の一つ(標高3800m)に着きました。外に出ると、猛吹雪、マイナス25度、何も見えない。ぶるぶる震えながら、室内でコーヒーを飲みました。左上に「No pik-nik」とあります。
さて翌日は大型商業施設の見学です。
クリスマスが近いせいか、関連飾り物が多いようです。
じっくりとレジを見ていると、日本との違いがはっきり分かります。お客はカート内の商品をベルトコンベアに載せます。レジ係が1個づつレジを打ちます、打ち終わった商品は後ろのコンベアに移動し、そこでお客が自分で袋詰めをします。レジ係は、日本と違って自分の領域以外の手助けはしません。EU諸国に比べてスイスの物価は平均して高いように感じました。
ホテルはジュネーブ・コルナバン駅近くで、夜間でも結構な交通量でした。ホテルの窓際から、コンパクトカメラがぶれないように撮ってみました。
何処が駅なのかわかりません。
夕食で出かけたときに見かけた光景。
翌日は研修やすみの日で自由時間がありました。同室の同僚と、買い物に出かけることにしました。スイスと言えば、時計の世界一の生産国です。駅の近くの通りはどこも時計屋さんばかり。ショーウインドーには高級品から普及品までたくさんの時計が並んでいます。日本円で2000円前後のスォッチを多く見かけました。当時(平成5年11月)は日本ではスォッチはまだ流行しておりませんでした。
事前に、日本の輸入時計の安売りチラシを持参して価格比較をしておりました。家内からお土産にグッチの時計(イタリア製)を、注文されていましたので、代表的な三色マークの時計に注目していました。ローマのグッチの店で見たときは、日本の価格のほうが、なんと安いではありませんか。スイスでも同様日本の方が安い。そこで、別の時計を見せてもらい購入しました。グッチのバッグと合わせ数十万円、家内にはこれで一生分のお土産が出来たな、とほくそえんでました。
翌日は早朝、コルナバン駅から、フランスの新幹線TGVでパリのリヨン駅に向かいます。出発前にツアーガイドから忠告がありました。乗車券のダブルブッキング(二重販売)は日常茶飯事、座席に着席したら、ほかの客が「そこは私の席だ」と言って来ても席を外ないように、とのこと。トラブルは車掌に任せるようにとの指示です。幸いトラブルは発生しませんでしたが、ダブルブッキングが日常茶飯事とは驚きでした。
アルプスの麓を走る。
数時間後には、パリの四つある終着駅の一つリヨン駅に到着です。ここリヨン駅は、TGVの発着駅になっていて、一つはスイスのジュネーブ、ローザンヌ、チューリッヒ方面に向かいます。もう一つは、イタリアのミラノ方面に向かいます。駅前広場に出ると色んな広告・看板が目に飛び込んできました。なんの看板かわかりませんが…、選挙の看板らしいということでした。
TGVの終着駅リヨン駅構内
地図を指さしていますが、単なるポーズです。
リヨン駅30分ほど待ちましたが、あいにく次の研修先と時間が折り合わず、急遽余った時間を利用してから貸し切りバスに乗って、ベルサイユ宮殿見学です。歴史ある宮殿ですが、宮殿前に広がる庭園等の作りが近代的過ぎて、まるでクラシックな感じがしませんでした。宮殿の中も確かに豪華ですが…
1682年ルイ14世が立てたと言われていますが…、金と権力に物を言わせて作った超豪華な作りですが、見学していてもさっぱり生活環、歴史観が感じられませんでした。
建物の入り口そばには、中学生くらいの子供たちが、4人ほどたむろ。子供がタバコをふかして…よく見ると、お菓子ポリポリでした。ああやはり子供だと、一安心。
宮殿入り口そばでトイレに入ろうとしたところ、受付?テーブルに座っていた女の子が「有料です、25サンチームです」と言う。当時1フラン約20円、その4分の1ですから5円ほどでしょうか。1フラン出すと、50サンチームのコイン1個を釣銭として渡されました。どうも計算が不得手なのか、何事にもこだわらないのか、つり銭もいい加減です。高額な場合でも、結構数え違いがあります。多く戻ってくる分には文句は言えませんが…
街中で見かけた有名な看板です。ロンドンのアビーロードで撮影されたビートルズ4人が横断歩道を渡る画像は、レコードのジャケットになりました。
単なる町並み?ま、それはそうですが、超有名なところなんですが…、オプショナルツアーもありましたが私は行きませんでした。
「皆で渡れば怖くない」をまさに地で行く光景にびっくりしました。歩行者用道路も信号もあるものの、無視、左を見て車が来なければ、中間ラインまでわたります、右を見て再度わたります。
もともとヨーロッパの道路は、車優先のように思えます。古くローマ時代に主要幹線道路網がローマ帝国内に張り巡らされました。これは戦争のための道路で、いわゆる戦車などの攻撃用の馬車や、資材を運ぶ馬車用に作られた道路です。かつての考え方が残っているせいなのか、横断歩道に通行人がいても車が強引に入ってきます。
もう一つ日本と違うのは、車に対する考え方です。ヨーロッパでは、車は単なる交通、移動手段ですが、日本ではときと入してステータスを表すものとなります。ドイツの高速道路では、BMVやベンツと言った高級車が、ヘッドランプが壊れたまま、あるいはルーフに取りの糞が付いたまま走っている事が数多くみられました。コンコルド広場では、観光バスに乗っていると、周囲からドスン、ドスン、と言う大きな音が何度も聞こえます。縦列駐車した、フィアットが、前後に車をぶつけてスペースを広くして、悠々と抜け出していきました。バンパーは、スペースを広げるための衝撃吸収用なんだそうです。
パリでは研修日程が少なく、自由時間がたっぷりありました。郊外へ買い物にでもと思い、地下鉄のチケット売り場が…さてと迷っていると、中年以上の大人には英語が全く通じません。困っていると、近くの学生が英語で話しかけてきて、売り場まで案内してくれました。10枚つづりのカルネと言う切符を購入して電車に乗り込みます。ここで思わぬアクシデント。同僚のO氏が、ポケットから切符を投入、競馬のゲートのような扉が「ガシャン」と閉じてしまいました。
O氏扉に挟まれて身動きできず、ああ、このままお陀仏かと思った瞬間、再度扉が開きました。後続の乗客が、切符を投入したからです。O氏は使用済みの切符を投入したから、閉じたのです。パリの地下鉄は、下車の際に、切符を投入する必要がないんです。扉の下のマットに足を乗せると、出口用の扉が自動で開くからなんです。そのために、ゲートを入ると、切符を捨ててしまう乗客が多いのです。見ていると、切符を買わずに、大股でゲートを超えていく人や、出口から長い足を突っ込んで床を踏んで出口の扉を開けて入っていく、無賃乗車が多いのにはびっくりしました。
扉の開閉は自動ではありません。閉まる時は自動ですが、開けるときは手動です。
パッシー通りで降りてみました。
近くにはモンパルナスがあるらしい。
途中で喫茶店に入りました。入り口のメニューを見るとミックスサンドの文字が読めました。それとコーラーを注文。店のオヤジさんが、長いフランスパンを切り始めました。まさかあれじゃないよねと言っていると、画像のように、フランスパンにハムとチーズを挟んだものが出てきました。
所変われば品代わるとは、まさにこのこと。入れ歯のO氏は固いものが食べられず、私が全部いただきました。
まだまだご紹介したい文化の違いがありますが、長文になりますのでこれで最終回といたします。